勝つのは男か? 女か? 今世紀最高にセクシーな社会派ドラマ『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』
男尊女卑思考のカタマリであり、口を開けば女性蔑視発言ばかりの実写版「男性至上主義のブタ」であるこの俺も、思わず自分のカミサンに日頃の感謝を表明して、ダイヤモンドのひとつでもプレゼントしたくなるような映画を観ました。
その名も『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』。
現役女子テニスチャンピオンVS元男子テニス世界チャンピオン。
要するに男VS女!
1973年にアメリカで実際に行われた、世紀のテニス対戦“性差を超える戦い”の全貌を描くエキサイティングかつデンジャラスな社会派ドラマです。
この試合は、全世界の人々の目をテレビに釘付けにし、女性解放運動・ウーマンリブの考え方をポップなカタチで世間に広めた大事件だったんですね。
映画を観るまでまったく知りませんでしたが、40年以上も前のことなのに、まるで過去のこととは思えないというか、現在の社会でも十分に共感&問題提起となり得るテーマなのが凄い。
当時よりはその社会的な差別は改善されているんだろうけど、形を変えつつもいまだに続いている“戦い”なんだなと考えさせられる内容となっておりました。
爽やかでセクシーな最高の2人の競演
単なるスポーツ。単なるテニスの一試合。
しかし、これは世界中の人々の意識を変えるために必要な戦いであり、社会における性差別を改善させるきっかけにもなり得る戦いです。
つまり、エマ・ストーン演じる女子テニスチャンピオンのビリー・ジーン・キングさんは、まさに「女性代表」としてこの戦いに挑むわけですね。
すげえ責任重大であり、プレッシャーも半端ないでしょう。
しかしながら、この作品はそんな重圧に苦しみ悩む健気な女性アスリートを、重苦しくシリアスに描いた作品では断じてありません。
差別や社会問題、男女関係、政治などが絡んだ戦いに身を投じる男女の闘いながら、その表現方法は爽やかでユーモア満点。
ビリー・ジーン・キングさんは、アスリートとしての意識の高さはもちろん、キャラクター的にもとても魅力的な女性で、とにかく「世界を変えるには私がやるしかない」という使命感と自信に満ち溢れているんです。
どんなに悩み葛藤している状況でも、戦う姿勢を貫き通すその姿が本当にカッコ良くてセクシー。
さらに、敵対する元男子チャンピオンのボビー・リッグスも「女性の敵」ながらこれまた魅力的な男です。
「女をコートに入れるのはいい。でなきゃ球拾いがいない」なんてことを平気でテレビでのたまったりする嫌味なやつ。
しかも表舞台から遠ざかった身でありながらテニスの実力は確かで、プレッシャーにも強い根っからのギャンブラーだというところが侮れない。
でも実は、私生活では優しさとチャーミングさを持った人間らしい人物であるところが描かれているので、憎むに憎めない。
演じるのはキャラ七変化みたいな怪物俳優のスティーブ・カレルさんですから、もうタダモノではない感満載の凄い演技をしています。
とにかく、敵対している2人の人間らしさが深く描かれているので、それぞれのキャラクターとそのドラマだけでとんでもなく面白い。
特に最高なのは試合の記者会見のシーンです。
これから名誉を懸けた一戦を行うというのに、2人とも楽しそうにお互いをディスりあって笑顔が絶えない。
お互いにアスリートとして一流であると認めて、男女関係なくリスペクトしていることが伺える素晴らしいシーンだと思いました。
社会を変える世紀の一戦、その臨場感に注目!
女性代表のビリー・ジーン・キングさんVS男性代表のボビー・リッグスさん。
表面上は男女の争いですが、その本質は社会の在り方を問うバトルであり、これに世界9000万人が注目したというところに大きな意味があります。
そんな世紀の一戦であるテニスシーンこそがこの映画最大のクライマックスで、もっともアツく緊張感のあるシークエンスです。
実際のテレビ中継で多用するアングルで描かれているので、試合をテレビで観戦しているような臨場感があって超ドラマチック。
プレイヤーとボールの動きをすべて見せるので、テニス素人が見ても戦いの流れが追いやすい丁寧な演出になっています。
そして最初はテニス未経験だったというエマ・ストーンが魅せる圧巻のプレイも見どころです。
チカラ強いサーブ、美しいフォームと俊敏な動き。
チャンピオンとしての説得力のある動きを見せてくれるので、息を飲むようなスリリングな展開の試合が体験できます。
全人類必見の社会派ドラマ
この作品は「男はこうだけど女はこう、だから男のほうが有能!」といった言いまわしをよく使い、カミサンや周囲の女性たちの怒りを買うことが多い俺みたいな人間が、反省して心を改めるにはもってこいの作品です。
ビリー・ジーン・キングさんは「優勝賞金の額が男女で差がありすぎる」ことで全米テニス協会にクレームを入れるんですが、「観客を呼べるのは男子の試合だから」という理由にブチ切れるところからこの話は始まります。
じゃあ、女性だけでも男子同様にエキサイティングな試合をやれることを見せてやろうじゃないの!
と言って立ち上がった女子テニス軍団のみなさん。
まさに彼女たちの行動は、俺みたいな男性優位思考の人間の心無い言動に苦しめられている女性たち(というかカミサン)の願いそのものなわけですね。
さらに、この作品には男女差別だけでなく、LGBTに関する問題も提起されており、40年以上前の出来事でありながら、十分現在に繋がるテーマが描かれています。
果たしてこの試合を機に、この40年間ちゃんと人類社会は進化してきたのだろうか?
そんなことを思わずにはいられないほど、深く考えさせられる内容でした。
まとめ
実際の本人そっくりに役作りしたエマ・ストーン、スティーブ・カレルの2人だけでなく、永遠の大統領ビル・プルマンやいつも同じような役のアラン・カミング、「すげえセクシーで美人な熟女だなあと思ったらエリザベス・シューだった」みたいな豪華な出演者たちが魅せる歴史的な一戦。
1973年という時代を再現しつつも、まったく古臭くない美術やファッションなんかも見どころです。
すべての頑張る女性たちに勇気をくれる、すべての愚かな男性たちの考えを改めさせてくれる作品として、全人類必見の映画。
というわけで点数はこうなります。
100点満点!
『恋は雨上がりのように』で描かれる「誠実さ」はすべての大人たち必見!
最高に爽やかな気分になれる映画を観たので感想を書かずにいられない。
というか、この作品のことを考えるだけで、自然と涙が溢れてしまうというか、もうね、すっごい泣けるんだこの映画。
爽やかさがギネス級、切なさがギネス級、そして何より、鑑賞後の晴れやかさと言うか、まさに鑑賞者の心の中も雨あがりの青空みたいにすっきりと晴れて、なんなら大きな虹もかかってキラキラしちゃう。
ただの恋愛映画や青春映画なんてチャチなもんじゃねえ、もっと爽やかなものの片りんを味わったぜッ!
大人として誠実すぎる「おっさん」の在り方
この作品を簡単に説明すると、女子高生(小松菜奈)がバイト先の店長(大泉洋・45歳)に恋をする映画である。
女子高生が冴えないおっさんに恋をするという設定から、「おっさんの願望だ」とか「ファンタジーが過ぎる」とか「淫行だろ」とか、観もしないで「雰囲気で文句を言いだす」自分勝手なクレーマーにさまざまな批判も受けていたが、当然のようにそんな映画では断じてないのだ。
この素晴らしい「恋」の物語は、歳の差カップルの色恋沙汰などではなく、登場人物たちの悶々とした日常、停滞しているかのような人生から、一歩踏み出してまた先に進みだせるきっかけをもたらす。
つまり、大人と子供の情熱的&破滅的な恋などではなく、未来に向かって歩み続けるために必要な恋。
もちろん俺なんかは、「おっさん」側の心境にならざるを得ないわけで、大泉洋扮する冴えないバツイチ店長に感情移入しまくるわけですが、女子高生に好かれるというシチュエーションよりも、その状況で見せる大泉洋の「誠実さ」にひどく憧れてしまった。
そりゃあ、小松菜奈みたいな今世紀最強の美少女に迫られて浮かれない人間はいないだろうし、そんなもの誰だって羨ましい。
でも、店長はその状況に半分喜びつつも、クソマジメとも言える「誠実さ」を貫く。
「据え膳食わぬは男の恥」などという言葉があって、もうこれは男性にとっての「呪い」とも言える言葉なんだけど、いや逆にそんな状況でも理性的なおっさんの方が1億倍オトコらしくてカッコ良くない?
「未来ある若者のために大人として何をしてあげられるか?」
こんなことを真剣に考えて、悩んで、小松菜奈ちゃんを傷つけないよう配慮しつつ対応するおっさん大泉洋。
現実的に、大人たちが好き勝手やって若者たちにそのしわ寄せがくるとか、大人たちの横暴で若者たちが泣いたり悩んだりする状況が現実的な世の中。
社会を動かしているのは大人たちかもしれないけど、それは大人たちの「今」を守るためではなく、子供たちの「未来」を創るため。
なんてことを本気で考えている(であろう)大泉洋。
女子高生に告白されて浮かれている場合じゃないよと。
俺たちは大人なんだから、ちゃんとしろと。
大人の役目は未来の大人たちにその「たすき」をつなぐことだろ? って、まるで俺自身がこの映画に諭されているかのような気持ちになってしまい、自分の人生について、今後の「生き方」について深く考え込んでしまった。
小松菜奈、世界一美しい説
しかし、小松菜奈の美しさはナニゴトだろうか。
邦画をほとんど観ない俺が、はじめて小松菜奈を観たのが『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』の山岸由花子役だったわけだが、今回の作品と妙に雰囲気が似ていた気がする。
美しく儚さもあるんだけど、精神力の強さ、荘厳さみたいなのも同時にあるという、とにかくタダモノではないオーラ出まくり。
お顔美しすぎ、スタイル良すぎ、もちろん女子高生らしい可愛らしさもあって、キラキラ輝いている感じが本当に素敵。
で、この人が全力疾走するオープニングがとにかくカッコイイ。
文字通りの疾走感あふれるタイトルバックに、鑑賞する俺たちのテンションもダダ上がり、オシッコもダダ漏れ状態になるからね。
劇中で描かれているほとんどのシーンは普通の女子高生の日常なんですが、小松菜奈さんがそこにいて演じているだけで絵になるというか、もう画の美しさがとんでもないことになる。
すべての日常シーンが映画的なヴィジュアルになってしまう、まさに小松菜奈マジックを堪能できる作品なのだ。
彼女を取り巻く多くの「愛」が優しい
『恋雨』の魅力は、小松菜奈が演じる悩める女子高生「橘あきら」と大泉洋演じる店長「近藤正巳」だけの物語だけじゃない。
主人公2人を取り巻く周囲の人々の優しい目線も感動的で、ときに刺激的だったりするので見どころ。
清野菜名さん演じる親友「喜屋武はるか」は、ケガで休部しているあきらを常に気にかけていて、これがもう友情というより愛情に近いほどあきらのことを心配しまくって、もう彼女のあきらに対する言動のアツさにマジで泣けてくる。
また、あきらの母親の吉田羊もとにかく優しい。
母子家庭なので、ほとんど仕事中の姿しか見せないが、忙しい中でさりげなく娘を見守っている感じが良かった。
出番も少なくセリフも少ない中で、こんなにも愛情深さを印象付ける吉田羊の演技力に脱帽。
極めつけは、大泉洋の大学時代の親友というそのまんまな役をやった「九条ちひろ」役の戸次重幸。
大泉洋と戸次重幸という、ヨダレが出るほどたまらないコンビによる、ヨダレが出るほど萌え萌えのシーンが盛りだくさんで、とにかくこの周囲のみなさんによる愛情に満ちたやりとりは、すべて「泣ける」要素になっていた。
エンディング最高すぎ
映画を観て俄然興味が湧いたこの『恋雨』、さっそくアニメ版も観てみたんですが、物語も世界観もほとんど一緒だった。
なのに、やっぱり映画版の「心地よさ」には足元にも及ばないというか、やっぱ俺は、小松菜奈と大泉洋がいて、周囲に清野菜名や吉田羊や戸次重行なんかがいる、あの映画の世界が好きなんだなと。
もはやストーリーとか関係なく、映画が醸し出す絶妙な空気感が好きなのかも? という身もフタもない感覚になっておるわけだ。
余談だが、俺はそもそもこの映画に関してはまったく興味が無く、公開時も全力でスルーするつもりだった。
なぜ、そんな俺がこの作品をわざわざ観に劇場に足を運んだのかと言うと、YouTubeのおすすめとして出て来た動画『フロントメモリー』のMVがきっかけ。
そう。『恋雨』のエンディングで流れる主題歌。
これを何気なく観て、まず楽曲が素晴らしいのはもちろんだが、やはり映画の作中ヴィジュアルに心を掴まれて、急きょ鑑賞を決めた次第。
この動画を観なければ、おそらく一生『恋雨』には出会えなかった。
そう考えるとYouTubeのおすすめ機能グッジョブ!
映画版が感動的なのはこのエンディングによるところが大きい。
あの爽やか&切ないラストでこの楽曲が流れたら、もう観ているこっちとしては劇場を出て残りの人生を全力疾走するしかない。
あきらと近藤のように、笑顔で未来へと一歩踏み出す勇気をくれる。
そんな最高のエンドロールだった。
まとめ
とにかくこの作品は、恋愛がブレイクスルーのきっかけになって、主人公が停滞していた人生から一歩踏み出す話だというところが、本当に心に刺さりまくる。
普通のラブストーリーと違って、恋愛を中心に展開が進むのではなく、壁を乗り越えるために恋愛が存在しているという視点が素晴らしいし、人生ってそうあるべきだよね。
今度は戦争だ! ウサギさんVS人類の生き残りを賭けた聖戦『ピーターラビット』
いやー、ウサギさんって、ほんっとにカワイイものですね。それではまた、来週の金曜ロードショーでお会いしましょう」
これは、映画評論家の水野晴郎さんが生前残した最後の言葉である。
つまり水野さんは、人類にこう言い残したかった。
『ピーターラビット』が凄いよと。
この作品を観れば、みんな大好きなウサギさんのカワイさを再確認できるだけでなく、ウサギさんが人間の言葉を理解できる賢い動物だということがわかるし、普段は可愛らしいけど怒らせたら恐ろしい存在であることも理解できる。
みんなが知らなかったウサギさんのヒミツを知ることができるというだけでも、全人類必見の映画であることは言うまでもないのだ。
イギリスの有名な絵本「ピーターラビット」をハリウッドで実写映画化。
などと聞くと、かわいいウサギさんと人間の心温まるファミリー映画をイメージするが、その中身はまるで逆。
さながら実写版『プライベート・ライアン』、もしくは人殺しを厭わない『ハクソー・リッジ』、主役がボンレスハムを食わない『ランボー/最後の戦場』といった感じのR15指定必至の壮絶さ。
要するに、ただの戦争映画だった。
ウサギさん、かわいすぎ問題
『ピーターラビット』(以下:ピーラビ)の見どころはもちろん、かわいいウサギさんのビジュアルである。
勇敢で仲間想いで、知能指数が確実に俺よりも上なピーターラビットくんはもちろん、そんな兄を慕う3姉妹がとにかくカワイイ。
ウサギさんってこんなにカワイイのか!
小学生の頃に学校で飼育してたウサギさんを虐待して通報された経験がある俺(母親と学校に謝罪しに行った)からすれば、ウサギなんていう気色悪い動物に魅力を感じないどころか殺意しか湧かないわけだが、そんな自称サイコな俺ですら、ピーラビのウサギさんたちにこんなにも心奪われてしまうとは。
そうか!
CGだからだ!
わーい。CGのウサギさん最高!
(本物のウサギは絶対に無理)
ピーラビのCGウサギさんたちは、それぞれ可愛らしい衣裳に身を包んで、キャラごとに性格が違って、表情も多彩で、チョコチョコ歩く姿とか動きが超カワイイ。
同じ土地に住む人間の女の子ビアと仲良しなんだけど、そのビアちゃんもやっぱりカワイイ(人間の性対象として)
ちなみにビアちゃんは画家で、ウサギの絵(絵本のピーターラビットそのもの)を描いていたりして、原作者のビアトリクス・ポター本人がモチーフになっているところもポイント。
ウサギさんと動物たち、そして美女。すべてのキャラクターたちが魅力的で、スクリーンいっぱいにカワイイモノが溢れる感じが、俺の荒み切った心を優しく潤してくださるのだ。
でもやってることは熾烈な殺し合い
いくらCGでカワイらしく加工されたウサギさんとはいえ、生き抜くためには食料が必要。
ということで、ウサギさんたちの食料源ともいうべきマクレガー邸の庭の畑をめぐっての、人間との生死を賭けた死闘が始まる。
いやね、マジでこの縄張り争いが熾烈を極めるというか、お互いに本気で殺しにかかっていてとんでもない。
屋敷の主であるトーマス(人間)は畑内の隅々にウサギ殺害トラップを仕掛けたり、ウサギの巣にダイナマイト(!)まで仕掛ける。
対するウサギさんたちも、トラップを逆に利用してトーマスを感電させたり、挙句の果てにはイチゴアレルギーのトーマスに無理やりイチゴを食わせてアナフィラキシーショックでの殺害を狙うという鬼畜ぶり。
アメリカでは公開時に、この攻撃の仕方があまりにも非人道的だとして問題になりましたが、ウサギさんなんだから人道に反しても良くね?
というか、アレルギーショックをトリックとした殺しなんてミステリーではよくあるし、ダイナマイトで爆死させるのは良くて、アレルギ―での殺害は残酷って基準がよくわからない。
そもそもトーマスは、この攻撃によってアレルギー症状が出て死にかけますが、常備していたアドレナリン注射を自ら打って回避するという、『ザ・ロック』のニコラス・ケイジにオマージュをささげたような迅速な対処をする。
これはもはや、アレルギーに理解がないのではなく、「いついかなる時もアレルゲンの体内侵入を予期してアドレナリン注射を持ち歩くべし」という危機管理メッセージとも読み取れるではないか。
というわけで、容赦ない殺し合いシークエンスなのに、出てくるのはカワイイウサギさんと朴訥とした青年トーマス、畑が爆破されまくっているのにぜんぜん気付かない隣人のビアちゃん(鈍感すぎる)。
今世紀最大のカオス展開を乗り越えた先にあるのは?
そう、とんでもない感動なのである。
圧巻のラストでまさかの号泣
この作品の何が凄いって、第二次世界大戦並みの残虐な戦いが続くにも関わらず、ラストがこれ以上ないほどのハッピーエンドなところ。
どんなに鬼畜な暗殺を企んだとしても、やはりウサギさんはカワイイ。
カワイイは正義(たとえ狂暴でも)。
俺はラストで感動のあまり号泣してしまい、なんだかんだ言って今年イチバン泣いた映画となってしまったのであった。
まとめ
決してファミリー映画ではない『ピーターラビット』。
名作絵本がなぜこんなことになってしまったのか?
生ぬるい絵空事などではなく、動物たちの過酷なサバイバルや人間の残酷さ、不便極まりないド田舎暮らしの地獄感なんかを、リアルに描きたかったのかもしれない。
そう、ウサギさんたちと人間の死闘は、まだ終わっていないのだ。
どこかの田舎では、今でもこんな殺し合いが続いているのかもしれない。。。
このように、長年にわたる害獣と人間の農家との闘いに、鑑賞者たちが思いを巡らせる。
それがこの作品が担うべき大きな役割なのであった(そんなわけねー)
シアーシャ・ローナンちゃんのほとばしる思春期パワー! 『レディ・バード』は現代の『赤毛のアン』だ
冴えない地元なんか出て、早く都会で文化的な生活をしたい!
都会への進学を夢見る少女レディ・バードの、破天荒で切ない高校最後の1年を描いた青春映画の最高峰。
切ない恋、背伸びした友人関係、うんざりする母親の小言と退屈な日常、そんな儚くて危うい青春時代を、根性と持ち前のユーモアで乗り切るレディ・バード。
俺なんかはもう、主演のシアーシャ・ローナンちゃんの魅力にやられて100回キュン死しました。
きっと誰にでもある青春の一瞬の出来事なんだけど、儚くてキラキラしていて、人生が詰まっている感じ。
ああ、俺もこんな悩める少年で、両親たちはこんなに俺のことを心配してくれてたんだろうななんて。
最後には号泣必至の傑作であった。
現代のアン・シャーリー、レディ・バードの魅力
「私はアン。名前のつづりの最後に「e」のついたアン(Anne)だから、そこんとこよろしく!」
そんなもんどーでもいいわ! と周囲に言わしめた『赤毛のアン』ことアン・シャーリーのこだわり。
自分が他の人とは違う“特別な存在である証”として、名前のつづりにこだわったアン同様に、この作品の主人公クリスティンは周囲に自身のことを「レディ・バード」と呼ばせている。
しかし家族も含めなかなか呼んでくれないから、常に「レディ・バードって呼んでっていってるでしょ!」とキレている。
監督のグレタ・ガーウィクさんいわく「自分で自分に新しい名前を付けることで、真のアイデンティティを見出すことに繋がる」とのことで、そのへんの感覚はすっごく良くわかる。わかりすぎる。
アン・シャーリーも、その孤独な身の上や過酷な日々を克服するうえで、名前の最後に入った一文字の「e」が大きな寄りどころになっていたはず。
その破天荒さ、ブレない意思の強さはレディ・バードに受け継がれているのだ。
レディ・バードにとって、クソ田舎のサクラメントでの暮らしなんか刺激不足でやってらんない。
しかも、平凡以下の家庭で育っていることへのコンプレックスもある。
都会へ行けば、親が金持ちなら、どんなに良かったか。
これも、赤毛のアンが自身の「赤毛」にコンプレックスを抱いているのととても似ている。
結局のところただの「無いものねだり」であり、サクラメントの田舎もアンの赤毛も、実は自分を形成しているとても大切な要素なんだけど、若いときはそれに気づかないというね。
いや、気づかなくていいんだよ。
青春ってそういうこと。
レディ・バードは外に飛び出すために、高校生活最後の一年を思いっきりフルスロットルで駆け抜ける。
恋をして、ケンカして、骨折して、失恋して、絶望して。
人の一生を見るかのような目まぐるしいレディ・バードの青春の日々。
みんな誰もが、こんな濃厚豚骨スープのような濃ゆい10代を経て、大人への階段を登っていくんだ。
すでに大人になってしまった俺にとって、レディ・バードの駆け抜けた青春は、楽しいこともトラブルも、すべての出来事がかけがえのない一瞬に見えて、とにかくラストで恥も外聞も無く泣いてしまったのだ。
そして母と娘の物語はつづく
『レディ・バード』は母と娘の物語だ。
ティーンエイジャーの少女にとっての母親の存在とは、とても複雑な関係性なんだなとこの作品を観て思い知らされた。
このへん俺は男なので父親目線でしか見ることが出来ない。
でも、彼女たちを見ていると、両方の気持ちは手に取るようにわかる。
父親よりも近い存在でありながら、同性でお互い似ているからこそわかり合えない、対立してしまう関係でもある母親。
レディ・バードは母親とずっとケンカしている。
もう顔を合わせれば言い合いをしていて、母親は娘を理解しようとしないし、娘も母親の言うことに聞く耳を持たない。
そのやり取りがもどかしく、見ていて辛くもあるんだけど、しっかりと愛情があることは伝わる。
丁寧な脚本&演出だなと感心してしまうほど、2人の関係性が絶妙。
なんだろうこの優しい視点は。
女性監督ならではの、自身の経験に基づいたリアルで愛情に満ちた家族表現もこの作品の見どころである。
まとめ
個人的にシアーシャ・ローナンちゃんが大好きで、美しいんだけど、すごく等身大で、意思の強さみたいなのが容姿に漂っている感じがいいよね。
最近は健気で強い少女役が多いので、そんなイメージになっているだけかもしれないが。
でも『レディ・バード』はローナンちゃんの強さだけでなく、おバカでイタい一面も見れて、巧みなコメディエンヌぶりを堪能できちゃうので、まさに新たな魅力開拓って感じ。
青春映画でありながら思いっきりコメディでもある。でも最後にはしっかりと泣かせてくれる最高の映画だった。
CGだと思ってたらストップモーションアニメだった『犬ヶ島』がとんでもなくヤバい!
いや、本当にすみません。
前情報とか知らずに鑑賞してしまいまして、最初はCGだと思って観てたんですこの映画。
ずいぶんと面白い動きするキャラクターだなあなんて、素直にその「ぎこちなさ」を単なる世界観だと思って楽しんでいたんですが、映画が進むにしたがって、あれ? これもしかして人形じゃね? ってなりまして。
上映後にプレスを見てはじめてストップモーションアニメだと知ったという。
俺、遅ッ!
でもね、マジで凄いですこの作品。
ストップモーションアニメだから凄いというんじゃなくて、この見たことも無い世界観というか、感じたことのない空気感というか、スクリーンから伝わるブッ飛んだパワーというか、こんな刺激的なビジュアルはなかなかお目にかかれないってくらいの怪作っすよ!
なんだこの誰も見たことのない世界観はッ!
『犬ヶ島』はその名の通り、犬だらけの離れ小島のお話です。
人間が犬を厄介者として社会から追い出して、すべての犬たちがゴミの島に追いやられたわけですが、そのストーリーの流れもとんでもなくヤバい。
舞台が近未来の日本で、外国がイメージする日本の極端なオリエンタル感が具現化されたようなカオスなヴィジュアル。
そんな中で、怪しげな日本語が飛び交い、よくわからない理由で犬たちを迫害する国家権力。
ストーリーがもう意味わからないし、ファンタジーにも程があるというか、とにかくナレーションなんかで無理やり納得させられる感じの意味不明さなんですが、そのへんは映し出されているヴィジュアルが凄すぎてどーでもよくなるので大丈夫です。
で、可哀想な犬たちがゴミ島で過酷なサバイバルをするような状況になっているわけですが、そこに現れたのが、愛犬を探しに来た一人の男の子、小林アタリくん。
このアタリくんが、ゴミ島の薄汚い病気犬たちの協力のもと、愛犬を探す旅をするという話です。
いやもうこの映画はね、ストーリーとか説明しても意味が無い。
ヴィジュアルの凄さをぜひ堪能して欲しいです。
世界観のブットビ度がハンパないです。
オープニング開始0.1秒から「なななななんじゃこりゃ!」と度肝を抜くこと必至のとんでもない映像です。
ひとことで言うと、超絶クール!
そう、ストップモーションアニメということは、キャラクターがすべて人形。
つまり感情表現が最低限に抑えられており、キャラの動きも最低限であるところが、逆にとんでもなくクールなんです。
最近のクオリティの高すぎるCGアニメによる、細かい動きや表情なんかに慣れていた人間にとって、このシンプルな表現は刺激物以外の何物でもありません。
しかし、物語はアクションとサスペンス、アツい勇気と友情が描かれており、その温度差がまたクールでたまらない。
人形だからこその制限が、逆に表現の広がりになっていて、鑑賞している側の想像力と好奇心をガンガン刺激してきます。
間違いなく、この世の誰も見たことのない世界観だし、きっともう一度観たくなるようなクセになる刺激になりますよ。
情熱と狂気が生み出した圧倒的芸術
100分の映画を作るのに、140000もの静止画が撮られ、それらすべてのファイルの合計データは34TB。
作られた人形の数1097体、うち犬は500匹。
撮影のセットは240も作られ、最大のセットでもたった長さ9m。
などという「どう? 凄いでしょ? 」と言いたげな製作ネタがあり、公式HPではメイキングシーンも公開されています。
俺は基本的に、ハイテク技術や撮影方法、かかった制作費なんかを自慢する映画宣伝が大嫌いで、お前らの苦労なんか知らねーよと。
映画は完成品がすべてで、制作の苦労が面白さに繋がるわけでもねーし。
「CG一切使ってません!」なんて言われても、作品が凡作だったら「CG使ってでも面白い映画作れや」って思うじゃん。
でも今回は、その苦労というか手間ひまがあってこその素晴らしい出来になっているのでそれだけは言わせて。
『犬ヶ島』は、製作陣のキチガイじみたこだわりが生み出した最高峰の芸術です。
頭がおかしくないと作れないし、ひとつひとつのシーンに、努力と情熱(あと狂気)なくして到達できない圧倒的なパワーがあります。
監督のウェス・アンダーソンさんは、『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』や『ムーンライズ・キングダム』、『グランド・ブダペスト・ホテル』など、イッちゃってる作品ばかり撮っている印象が強いですが、やっぱりどこかイッちゃっています。
以前にもストップモーション・アニメ『ファンタスティック Mr. FOX』を製作していますが、結局のところこの人はストップモーションアニメを作るために監督やってんのかもね。
まとめ
ビジュアルと世界観の話ばかりでしたが、セリフも超絶カッコよくてユーモア抜群なのでそこも痺れます。
しかも声を演じているのはリーブ・シュレイバー、エドワード・ノートン、ビル・マーレイといったベテラン俳優ばかりなので迫力が凄い(姿は犬だけど)
今世紀最高にクールな芸術的体験ができること間違いなしの傑作。
ぜひぜひ映画館で観て!
俺はもう一回観に行くから!
今世紀最強の映画『アベンジャーズ/インフィニティ・ ウォー』は問答無用の人生ベストワン作品!
結論から言わせていただくと、シリーズ最新作『アベンジャーズ/インフィニティ・ ウォー』は今世紀最強の映画です。
映画史に刻まれるであろう名作中の名作。
この作品を観ているかどうか? で映画ファンとしての立ち位置も大きく変わるでしょう。
個人的に、これを観て興奮しないような奴とは友達になれないし、同じクラスに観てない奴がいたら絶対にいじめます。
2018年の映画ベストに『アベンジャーズ/インフィニティ・ ウォー』が入っていない奴なんかとコミュニケーション取らない俺は!
そのへんは今から宣言しておきます。
つまり、何がなんでも観ろ。
そういうこと。
それ以外は書くことがありません。
MCUはこの時代に生きている映画ファンの特権
2012年に公開された『アベンジャーズ』は、それまで個別で制作されていたマーベル作品の主役ヒーローたちが一堂に会するとんでもないお祭り作品でした。
鑑賞しながら、こんなことが実現可能なのかと驚愕し、同時に夢の競演にもんどりうって興奮していた俺。
アイアンマンがいて、キャプテン・アメリカがいて、ソーやハルクがいる。
ディズニーランドよりもすげえオールスター感。
それが「MCU」(マーベル・シネマティック・ユニバース)なんです。
ハッキリ言って、このとんでもないプロジェクトを楽しまないなんてありえないし、映画ファンでいることの幸せを心の底から感じた瞬間でした。
『アベンジャーズ』シリーズを観ない映画ファンなんて、映画ファンじゃねー。
だから、もし見逃しているという人がいるなら、今からでも全部観るべきなんです。
これをリアルに追いながら楽しめるのは、この時代に生きている俺たちの特権ですよ!
『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』のすげえとこ
その① 出し惜しみせずにずっとクライマックス
開始早々に大ピンチに陥っているので、展開が常にクライマックスです。
バトルに向けてじょじょにテンションを上げていくのではなく、
「敵が来る!」「来た!」「バトル!」
という息をつく暇もない展開の速さ。
しかも、ヒーローたちが一気に集結して、初対面同士のヒーローが感覚だけでコンビネーションバトルを繰り広げたりするの、マジで興奮しますよね。
あのヒーローとあのヒーローが共闘している!すげー!ってシーンのオンパレード。
まったく出し惜しみがないのが贅沢です。
その② キャラが役割をまっとうする
それぞれの豊かなキャラクターが生きている脚本。
ガーディアンズの凸凹感とか、スパイダーマンの父親代わりのトニー・スタークとか、ストレンジさんの孤高の天才っぷりとか、自由がきかないなりに戦いに参戦するハルクとか。
みんな個性を持ち味にした思考&動きで敵に立ち向かうところが最高。
個性派集団アベンジャーズの魅力が存分に生かされていました。
その③ ヒーロー達の強さが進化している
すべてのヒーローたちが、それぞれの個別の作品で進化&パワーアップしているので、とにかく強い。
新たな技や武器、最新バージョンのスーツを準備していて、こいつら本当に「強さ」を向上させることに妥協しないなあって感心してしまいます。
ちょっと目を離すと、すぐにパワーアップしちゃうの凄いですよね。
しかも作品中でも、どんどんパワーアップしていくのでそのへんも注目です。
その④ 敵が最強&幹部連中も超強い
最強のヴィラン「サノス」とその部下連中がムチャクチャ強いのもこの作品の良いところ。
ボスが強いのはわかるけど、今回は中ボス連中もヤバイ奴らなので、ヒーローたちが協力して戦います。
幹部を次々に撃破していって、最後についにサノス!
というバトル展開がアツいっす。
その⑤ その最強のボスが魅力的
最強で最悪な破壊王サノスですが、実は人間的魅力も大きいんです。
破壊と言う行為への使命感と、彼なりの美学&哲学がある。
しかも、最強になるために多くの大事なものを失ってここまで来ているという哀愁もあって、なんか憎むに憎めない。
さらに武器であるインフィニティ・ガントレットがすこぶるカッコイイ。
ヒーローをボコボコにして殺戮を繰り返す敵にも大きな魅力があるってところが、この作品のもっとも優れた部分なんです!
そして戦いは2019年へ
アベンジャーズシリーズはこれで最後ではなく、2019年には第4弾が公開される予定です。
さらに、その間には『アントマン&ワスプ』『キャプテン・マーベル』というMCU作品が待機している。
つーことは、まだまだこのプロジェクトを楽しめるってことですから、それまで死ねないわけです。
仕事がうまくいかなかったり、彼女にフラれたり、不治の病になったりしても、とりあえずアベンジャーズが続く限りは生き続けないといけない。
俺たちファンにとっての生きる理由こそが「MCU」なのです。
というわけで、今後もアベンジャーズを生命の糧として、この混沌とした世の中を生き抜いていきましょう。
100億点満点!もしくは採点不能ッ!
前作の500倍クソ楽しい『パシフィック・リム:アップライジング』で、生きている喜びを実感したよ!
『パシフィック・リム』1作目を観たあとの自分の感想文を改めて読んでみたら、散々と大絶賛したあげくに、ラストを「生きててよかった!」というセリフで締めくくっていたのでびっくりした。
なぜなら、あれから5年の歳月を経て公開された続編『パシフィック・リム:アップライジング』を鑑賞した直後も、思わず「生きててよかった!」とつぶやいてしまっていたから。
つまりこの作品、自分がこの世に存在していることを感謝できる映画なのだ。
パシリム2、まさかの1作目を超越した面白さ
1作目で、見事に怪獣軍団を地球から追い出すことに成功した環太平洋防衛軍のみなさん。
巨大ロボット「イェーガー」の大活躍のおかげで、地球に平和が訪れた。一時的に。
今回は、そんな前作のイェーガーVS怪獣のIWGP選手権試合132分一本勝負が決着した、その10年後のお話である。
主役は、前作で名誉の殉職(というか自己犠牲)を遂げたスタッカー司令官の息子、ジョン・ボイエガさん。
例によって、偉大過ぎる親への劣等感で荒くれた日常を送っているが、どうやらこの男、イエーガー操縦の技術には天賦の才能があるようだ(お約束設定)
そんな荒ぶるボイエガさんを防衛軍に呼び込む役目が、前作でも大活躍した我らがヒロイン、菊地凛子さん演じる森マコ嬢で、一応、義理の姉という設定なので驚き。
俺は個人的に菊地凛子さんが好きすぎて(性的な意味で)、もうマコ嬢の再登場に狂喜乱舞したのであった。
しかもこの森マコ嬢、姿は菊地凛子さんでありつつも、幼少期は芦田愛菜ちゃん、しかも日本語吹き替え版では声優を林原めぐみさんが担当しているという俺得すぎる存在。
最高すぎるッッ!(股間を膨張させながら)
とにかく今回の続編、素晴らしいのはストーリーである。
地球はもう怪獣の脅威が去った状態になっている冒頭、しかし、なにやら怪しい雲行きになってきて、それがもうハッキリ言って予想外のぶっ飛び展開で地球が危機に陥るのだ。
大暴れする怪獣をただやっつけるだけでなく、そこに人間の物語、いや言ってみれば人間と怪獣との駆け引きがしっかりと描かれているところが面白い。
この先読み不可能(ムチャクチャすぎて)なストーリーに、俺はもう素直に驚いた。
鑑賞中の俺の心境
なんでこんなに自由なんだ!
この映画にルールは無いのかッ!!
つまりバ―リトゥード(何でもあり)しているということに関しては、前作をはるかに超越しているわけ。
物語が神! 設定が神! 演出が神!
すべてが前作超え!
信じられない大傑作続編の誕生だ!
勝因① 登場キャラがユルすぎる
何が素晴らしかったかというと、やはりキャラクター作りの安直さである。
とにかくステレオタイプな登場人物ばかり出てきて、ニンゲン描写がすこぶる軽薄であるところ。
まるでローランド・エメリッヒの映画を観ているかのような安心感と言えばわかりやすいだろう。
主役はアウトロー、それをたしなめるイケメンの親友、心に傷のある少女(しかしニュータイプ)、イカレた科学者、新技術を推進して儲けようとする大企業の社長。
この作品の見どころはあくまでロボットVS怪獣のバトルなわけで、そこを気持ちよく見てもらうために複雑なキャラ設定など必要ない。という潔さが素晴らしい。
人間関係や細かい心情の描写?
そんなものいらんのじゃ!
心情なんぞナンボのもんじゃ!
なのに、俺は鑑賞中に何度も涙ぐんでるからね。
人間描写なんか無くても、人は感動できるんだなあ。
勝因② 設定が雑すぎる
すべて「近未来だから」という理由だけで強引に成立させてしまっているガバガバ設定の数々。
これもまたパシリム2の面白さの要素だ。
んなわけねーだろ! というシーンのオンパレードだが、もうムリヤリ納得させられてしまう(というか納得なんか必要ないほど気にならなくなる)
この作品の雑な設定は、もう芸術の域に達しているので、もし鑑賞中に「ありえねー」とか思って引っかかっても、それは映画がダメなんじゃなくて自分自身がダメなのである。
レジェンダリーピクチャーズの作品全般に言えることだが、これを楽しめないのは、お前に努力が足りないからなんだからな!
批判をしないで反省をしろ。
勝因③ デルトロ監督の降板
前作公開時に、映画ファンの間で「パシフィック・リムは女性パイロットの性的な描写が無いのでデルトロ監督は節度がある」みたいな評価が話題になったことをご存知だろうか。
そこに対しては俺からひとことモノ申したい。
前作の菊地凛子メチャメチャエロかったやないか!
『パシフィック・リム』に性的描写が無い?
いやいやいや、性的描写だらけやわ。
映画ファンって、崇拝する監督の映画を観ると超盲目になるからホント困るわ。
『シェイプ・オブ・ウォーター』を観て「モンスターと人間との究極の愛!」とか真顔で言っちゃうようなノンキな奴ばっかりで笑ってしまう。
ブログの記事でも書いたが、あんなのどう見ても、モンスター同士のポルノ巨編だし、デルトロ監督の深い闇(というか性癖)がモロに出ている変態映画だっただろうが。
で、今回の続編は、なんと監督がデルトロさんではなく別の人!(デルトロさんはその半魚人のポルノ映画で忙しかった)
よって、パシリムファンからは心配の声もあったし、正直俺だってあまり期待はしていなかったのが正直なところなのだが。
だってパシリムにとって重要なのは、センスとかテクニックとか監督の才能とかじゃなくて、「怪獣大好きな気持ち」と「ウルトラマン大好きな気持ち」と「ガンダム大好きな気持ち」の3つだったから。
この3つが無いとパシリムは作れない。
逆に言うと、この3つさえあれば俺でも作れる。
それがパシリムなのだ(笑)
幸運にも、デルトロさんからバトンを受け取った続編の監督スティーブン・S・デナイトさんには、その3つが備わっていたのでした(たぶん)
ただ、デルトロさんと違うのは、新監督デナイトさんには「心の闇」が無かったところである。
デルトロさんってのは、どんなエンタメ作品を作ろうとも、少なからず彼の抱える「心の闇」が投影されてしまっていた。
そこが、パシリムのような純粋無垢であるべきエンターテインメントには多少邪魔だったと俺は思う。
今回の続編には、デルトロさんの闇が無い。
つまり、ひたすらポップで脳内お花畑なエンターテインメントに昇華されているのだ。
デルトロさんという闇が排除されたパシリム。
その結果、この続編が本当の意味での、純粋無垢かつ完全無欠のエンターテインメントとなり得たのであった。
まとめ
とにかく面白い! 楽しい! 感動的!
俺は鑑賞しながら、笑って泣いて驚いてと魂を揺さぶられまくり。
『パシフィック・リム:アップライジング』には、映画における感動がすべて詰まっている!