ローデッド式デヴォンクラッチ

映画ファン最後の良心デヴォン山岡が映画を楽しみまくって感想を書きます。

『恋は雨上がりのように』で描かれる「誠実さ」はすべての大人たち必見!

 

最高に爽やかな気分になれる映画を観たので感想を書かずにいられない。

というか、この作品のことを考えるだけで、自然と涙が溢れてしまうというか、もうね、すっごい泣けるんだこの映画。

爽やかさがギネス級、切なさがギネス級、そして何より、鑑賞後の晴れやかさと言うか、まさに鑑賞者の心の中も雨あがりの青空みたいにすっきりと晴れて、なんなら大きな虹もかかってキラキラしちゃう。

ただの恋愛映画や青春映画なんてチャチなもんじゃねえ、もっと爽やかなものの片りんを味わったぜッ!



大人として誠実すぎる「おっさん」の在り方

 

この作品を簡単に説明すると、女子高生(小松菜奈)がバイト先の店長(大泉洋・45歳)に恋をする映画である。

女子高生が冴えないおっさんに恋をするという設定から、「おっさんの願望だ」とか「ファンタジーが過ぎる」とか「淫行だろ」とか、観もしないで「雰囲気で文句を言いだす」自分勝手なクレーマーにさまざまな批判も受けていたが、当然のようにそんな映画では断じてないのだ。

この素晴らしい「恋」の物語は、歳の差カップルの色恋沙汰などではなく、登場人物たちの悶々とした日常、停滞しているかのような人生から、一歩踏み出してまた先に進みだせるきっかけをもたらす。

つまり、大人と子供の情熱的&破滅的な恋などではなく、未来に向かって歩み続けるために必要な恋。

もちろん俺なんかは、「おっさん」側の心境にならざるを得ないわけで、大泉洋扮する冴えないバツイチ店長に感情移入しまくるわけですが、女子高生に好かれるというシチュエーションよりも、その状況で見せる大泉洋の「誠実さ」にひどく憧れてしまった。

そりゃあ、小松菜奈みたいな今世紀最強の美少女に迫られて浮かれない人間はいないだろうし、そんなもの誰だって羨ましい。

でも、店長はその状況に半分喜びつつも、クソマジメとも言える「誠実さ」を貫く。

「据え膳食わぬは男の恥」などという言葉があって、もうこれは男性にとっての「呪い」とも言える言葉なんだけど、いや逆にそんな状況でも理性的なおっさんの方が1億倍オトコらしくてカッコ良くない?

「未来ある若者のために大人として何をしてあげられるか?」

こんなことを真剣に考えて、悩んで、小松菜奈ちゃんを傷つけないよう配慮しつつ対応するおっさん大泉洋

現実的に、大人たちが好き勝手やって若者たちにそのしわ寄せがくるとか、大人たちの横暴で若者たちが泣いたり悩んだりする状況が現実的な世の中。

社会を動かしているのは大人たちかもしれないけど、それは大人たちの「今」を守るためではなく、子供たちの「未来」を創るため。

なんてことを本気で考えている(であろう)大泉洋

女子高生に告白されて浮かれている場合じゃないよと。

俺たちは大人なんだから、ちゃんとしろと。

大人の役目は未来の大人たちにその「たすき」をつなぐことだろ? って、まるで俺自身がこの映画に諭されているかのような気持ちになってしまい、自分の人生について、今後の「生き方」について深く考え込んでしまった。

 

 

 小松菜奈、世界一美しい説

しかし、小松菜奈の美しさはナニゴトだろうか。

邦画をほとんど観ない俺が、はじめて小松菜奈を観たのがジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』山岸由花子役だったわけだが、今回の作品と妙に雰囲気が似ていた気がする。

美しく儚さもあるんだけど、精神力の強さ、荘厳さみたいなのも同時にあるという、とにかくタダモノではないオーラ出まくり。

お顔美しすぎ、スタイル良すぎ、もちろん女子高生らしい可愛らしさもあって、キラキラ輝いている感じが本当に素敵。

 

 

で、この人が全力疾走するオープニングがとにかくカッコイイ。

文字通りの疾走感あふれるタイトルバックに、鑑賞する俺たちのテンションもダダ上がり、オシッコもダダ漏れ状態になるからね。

劇中で描かれているほとんどのシーンは普通の女子高生の日常なんですが、小松菜奈さんがそこにいて演じているだけで絵になるというか、もう画の美しさがとんでもないことになる。

すべての日常シーンが映画的なヴィジュアルになってしまう、まさに小松菜奈マジックを堪能できる作品なのだ。

 

 

彼女を取り巻く多くの「愛」が優しい

 

『恋雨』の魅力は、小松菜奈が演じる悩める女子高生「橘あきら」と大泉洋演じる店長「近藤正巳」だけの物語だけじゃない。

主人公2人を取り巻く周囲の人々の優しい目線も感動的で、ときに刺激的だったりするので見どころ。

清野菜名さん演じる親友「喜屋武はるか」は、ケガで休部しているあきらを常に気にかけていて、これがもう友情というより愛情に近いほどあきらのことを心配しまくって、もう彼女のあきらに対する言動のアツさにマジで泣けてくる。

また、あきらの母親の吉田羊もとにかく優しい。

母子家庭なので、ほとんど仕事中の姿しか見せないが、忙しい中でさりげなく娘を見守っている感じが良かった。

出番も少なくセリフも少ない中で、こんなにも愛情深さを印象付ける吉田羊の演技力に脱帽。

極めつけは、大泉洋の大学時代の親友というそのまんまな役をやった「九条ちひろ」役の戸次重幸。

大泉洋と戸次重幸という、ヨダレが出るほどたまらないコンビによる、ヨダレが出るほど萌え萌えのシーンが盛りだくさんで、とにかくこの周囲のみなさんによる愛情に満ちたやりとりは、すべて「泣ける」要素になっていた。



エンディング最高すぎ

映画を観て俄然興味が湧いたこの『恋雨』、さっそくアニメ版も観てみたんですが、物語も世界観もほとんど一緒だった。

なのに、やっぱり映画版の「心地よさ」には足元にも及ばないというか、やっぱ俺は、小松菜奈大泉洋がいて、周囲に清野菜名や吉田羊や戸次重行なんかがいる、あの映画の世界が好きなんだなと。

もはやストーリーとか関係なく、映画が醸し出す絶妙な空気感が好きなのかも? という身もフタもない感覚になっておるわけだ。

 

余談だが、俺はそもそもこの映画に関してはまったく興味が無く、公開時も全力でスルーするつもりだった。

なぜ、そんな俺がこの作品をわざわざ観に劇場に足を運んだのかと言うと、YouTubeのおすすめとして出て来た動画『フロントメモリー』のMVがきっかけ。

そう。『恋雨』のエンディングで流れる主題歌。

 

 

これを何気なく観て、まず楽曲が素晴らしいのはもちろんだが、やはり映画の作中ヴィジュアルに心を掴まれて、急きょ鑑賞を決めた次第。

この動画を観なければ、おそらく一生『恋雨』には出会えなかった。

 

そう考えるとYouTubeのおすすめ機能グッジョブ!

 

映画版が感動的なのはこのエンディングによるところが大きい。

あの爽やか&切ないラストでこの楽曲が流れたら、もう観ているこっちとしては劇場を出て残りの人生を全力疾走するしかない

あきらと近藤のように、笑顔で未来へと一歩踏み出す勇気をくれる。

そんな最高のエンドロールだった。

 

 

まとめ

とにかくこの作品は、恋愛がブレイクスルーのきっかけになって、主人公が停滞していた人生から一歩踏み出す話だというところが、本当に心に刺さりまくる。

普通のラブストーリーと違って、恋愛を中心に展開が進むのではなく、壁を乗り越えるために恋愛が存在しているという視点が素晴らしいし、人生ってそうあるべきだよね。