40年後のダニーくん、まさかのオーバールックホテル再訪! 『ドクター・スリープ』
オーバールックホテルの不気味な廊下を三輪車で縦横無尽に漕ぎ進んでいた可愛いダニーくんも、見事にやさぐれた大人に変貌。
髭モジャのオビ・ワン・ケノービ然としたアル中男と化しているところは、父親であるジャック・トランスの血統を感じさせるショッキングな未来である。
ダニー、お前もか(アル中)
しかし天性の能力である「輝き(シャイニング)」はいまだ健在。
というか、道を踏み外そうとすると、例のホテル事件からの師であるハローランの幽霊になんとか助けられ、これまで人生を台無しにせずに済んできたようだ。
例のホテル事件を生き残って40年後。あの頃の面影ゼロの、夢も希望もやる気も無くただ無気力な人生を送っているダニー君。
ここから何が起こるのかというと、予想の斜め上を行くとんでもないことが起こる。
いや、ダニーくんは巻き込まれる形で命がけの殺し合いに身を投じることになるのだ。
1作目の幽霊屋敷ストーリーから一転し、まさかのサイキックバトルホラーへと姿を変えた圧巻の続編。
オーバールックホテル関係ないところで再び刻まれる「REDRUM」の文字。
まるで『スターウォーズ』かのように、オビワン化してゆくダニーくん。
つまりこの作品、キューブリック版『シャイニング』の続編のふりをして、実は原作版『シャイニング』の続編となっている。
と言いつつ、キャラクターやヴィジュアル設定はキューブリック版を踏襲しているし、生垣の迷路も登場する。
凄い。
キューブリック版と原作版を見事に融合して続編を作っているのだ。
とんでもない芸当である。
監督のマイク・フラナガンという人、キング作品への理解が深いのか、キャラの描き方が丁寧だし、表現に容赦がない。さらにサイキックシーンに異様な迫力がある。
キングはホラー作家だが、実は超能力モノこそが得意分野である。
デビュー作の『キャリー』をはじめ、『デッド・ゾーン』、『ファイアスターター』、『グリーンマイル』などなど、孤独な能力者を描いた数多くの作品があり、『シャイニング』もそのひとつなのだ。
しかしキューブリックの映画は、ダニーくんの「輝き(シャイニング)」やもう一人の超能力者ハローランの存在に重きを置かずに、ジャック・ニコルソン演じるジャック・トランスが悶々として発狂するサイコホラー的要素を全面に押し出していた。
よって、映画版しか観ていない人には「なんで急にこんな続編になるの?」という印象になるかもしれないが、原作ファンからするともう問答無用の合格点。
『ドクター・スリープ』はなるべくしてこうなった最強の続編なのである。
オーバールックは静かにその時を待つ
『シャイニング』の続編映画と聞いてまず思ったのが、え? どっちの『シャイニング』? という疑問である。
一般的に『シャイニング』といえば1980年に制作されたスタンリー・キューブリック監督の映画をイメージするが、原作であるスティーブン・キングによる小説とは似て非なる存在として語り継がれているからだ。
映画的に大ヒットしホラーの金字塔となったキューブリック版『シャイニング』。
モダンホラーの帝王スティーブン・キングによる原作版『シャイニング』。
ベースとなる物語は同じだが、その捉え方、恐怖の質、根底に流れる精神がまるで違う。
なぜなら、キューブリックは神の存在をいっさい信じない男。
オーバールックホテルの幽霊は超自然的かつ人知を超えた邪悪な存在ゆえに、キューブリックにとっては現実に存在しないモノなのである。
幽霊を心底怖がっているキングが作った『シャイニング』と、幽霊を信じないキューブリックが作る『シャイニング』。
2人の根本的な違いはまさにその精神なのだ。
あるインタビューでキングはこう言った。
しかしだ。
原作者たるキング御大は認めていなくても、俺にとってのキューブリック版『シャイニング』はかけがえのない人生の一本である。
計算されつくされたカメラワークと美術センスによる完璧な世界観は、シンメトリーにこだわるあまりヴィジュアルが整いすぎていて、逆に超自然的かつ禍々しいインパクトで脳裏にトラウマとして残り続けている。
また、映画開始早々からもはや怖いジャック・トランスの顔と、クライマックスで脅える姿が無駄に怖いウェンディの顔。
さらに、キング御大もさすがに褒めたという「生垣の迷路」のアイデアの斬新さ。
原作とは別モノとして、ホラー映画としての魅力にあふれた最高の作品である。
それにキューブリックの残したオーバールックホテルのヴィジュアルがあるからこそ、『ドクター・スリープ』は超大作としての貫禄とスケール感を容易く手に入れられたと言ってもいいだろう。
続編は、ホテル事件が過去となった40年後を描いてはいるが、もちろんオーバールックホテルは登場する。
エモさすら漂うホテルの佇まい、館内の廊下、エントランス、バーカウンター、237号室(原作では217号室)。
ダニーくん40年ぶりの再訪に、まるで上京した息子がやっと故郷に帰って来たかのような微笑ましさを感じてしまったのは俺だけじゃないであろう。
シャイニングを喰らう者
続編とはいえ、オーバールックの問題はすでに解決済み。
『ドクター・スリープ』は、それとまるで関係ないところから事件が始まる。
なぜダニーくんにも飛び火するのかというと、そこに「輝き(シャイニング」の能力が関わっているからだ。
人間の生気を食らう吸血鬼みたいな集団が存在し、生命力の強い子供たち、つまりシャイニングを持つ当時のダニーくんのような存在を喰らって生き続けているやつらがいるのであった。
人知れず行方不明になる子供たち。この流れは『IT/イット』にも近いので、まさにキングらしい物語である。
この悪い奴らをなんとかして止めなければってことで、シャイニングの先人としてのダニーくんが、弟子である才能豊かなパダワンと共にそいつらと対峙する。
しかもサイコキネシスや幽体離脱的な念動力を駆使して敵をあぶりだしていくわりに、いざというときは普通に銃撃戦で殺し合ったりするのもショッキングで素晴らしかった。
ホラーの怖さよりも、殺し合いの陰惨さが常に漂っている緊張感あふれる展開がたまらないのだ。
まとめ
最後にキャストだが、ダニーくん役のユアン・マクレガーはもちろん良かったが、セクシーなバケモノ「ローズ・ザ・ハット」役のレベッカ・ファーガソンの色気がたまらなかった。
さらに、40年前の再現シーンで登場するジャックとウェンディが、似せようとしているのかどうかがわからないほど微妙なヴィジュアルであった。
子供時代のダニーくんはかなり似ていたが(ハローランは本人←嘘)
とにかく、キングのおぞましい原作とキューブリックの完璧な映像、まったく別モノだった2つの芸術を見事融合させた素晴らしい続編であった。
長年、キングとキューブリックの『シャイニング』をめぐるバトルに付き合わされてきたファンも納得の出来。