ローデッド式デヴォンクラッチ

映画ファン最後の良心デヴォン山岡が映画を楽しみまくって感想を書きます。

これがウチらの戦争だ。号泣映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

 

戦争に翻弄される一般市民のみなさんが必死で日々を生き抜く姿を描いた映画。

などと言われると俺なんかは「そんな悲惨なものを好き好んで観たくはない」という気持ちにならざるを得ないというか、特に原子爆弾投下前後のヒロシマ周辺のカオスを描いていると聞いたら気分はさらに落ち込む。

そういった理由で、かの超有名アニメ作品『火垂るの墓』だって観ていないし、漫画『はだしのゲン』なんかも超絶トラウマハードコア地獄絵巻として俺の中でのZ指定認定作品となっている。

戦争が悲惨なものであることはわかっているし、なんで娯楽たる “映画” というエンターテインメントでそれを改めて教えられなきゃいけないのだろうか。

戦争映画は、ノー天気な『パール・ハーバー』とか狂気じみた『戦争のはらわた』とか観てゲラゲラ笑って楽しむもんじゃないのかと。

 

2016年に公開し大ヒットした『この世界の片隅に』も、当然のように誰がどんだけ褒めちぎろうがひたすら無視を決め込んでまったく鑑賞する気はなかったのだが、なんの因果か今回この作品の再編集バージョン『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の試写会の案内が俺のもとに届いたのだ。

評判はさんざん聞いていたし、ただ悲惨なだけの物語ではないことも知っていた。

じゃあ、このタイミングに “体験” としてこの作品を観てみるのもいいか、なんて覚悟を決めて、まずはオリジナル版『この世界の片隅に』をAmazonプライムで鑑賞。

 

泣いた。

 

むちゃくちゃ泣いた。

 

戦争は兵士たちが殺し合うだけではない。

市民たちにとっては、壊れていく日常の中で必死に生活しつづけていくことが戦争なのだ。

 

「何でも使って暮し続けるのが、ウチらの戦いですけん」

 

悲しくもたくましいこんなセリフもあれば、毎日何度も空襲に合い、周囲に鳴り響く空襲警報に対して

 

「警報、もう飽きた!」

 

などと愚痴り、うんざりしながら防空壕へと避難するユーモラスなシーンがあったりする。

恐怖を通り越して、もはや空襲に “慣れ” を感じてしまっている日常がより一層恐ろしいではないか。

戦時中の日常のリアリズムがこういった些細なセリフに現れている。

 

空襲が続き、家族が死地に送り出され、配給の食べ物もわずかという絶望的な状況でも、人間は嘆いてばかりではなく、一生懸命にその日を生き抜いて、時にはユーモアのあるやり取りもしている。

どんな時でも人々は生活をし続ける。

絶対にタダでは死なないし、そう簡単には絶望しない。

生きることの壮絶さというか、人間らしさを失わない登場人物たちの “しぶとさ” に感動してしまった。

 

そして、なによりも主人公すずを演じる声優「のん」の、ボンヤリとした天然ボイスが過酷な環境の緊張感を和らげてくれる。

この作品の世界観に救いが溢れているのは、のん演じるすずのキャラクターパワーのおかげだろう。

 

しかしだ。

そんな素朴な価値観とおっとりとした性格のすずだからこそ、日本の戦争敗北の際に悔しそうに嘆く姿がまた凄まじいのだ。

 

「なにも考えんボーっとしたウチのまま死にたかった・・・」

 

戦時中も比較的ノーテンキだったすずに、ここまで言わせてしまう戦争の恐ろしさ、悲しさがより一層身に染みた。

 

というわけで、何が言いたいかというとこの世界の片隅に』は、大ヒット・大評判にふさわしい傑作アニメであった

3年越しでそれに気づいた自分自身のダメっぷりに愕然とするが、たとえ今更だろうがそれに気付けたことが喜ばしい。

 

そして今回、129分のオリジナル版にプラス40分の新たなエピソードを加えたディレクターズカットともいうべき完全版が公開となった。

その名も『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』。

(さらにいくつもの)とは、まさにオリジナル版では語られなかった小ネタ、しかしすずの物語をさらに深く掘り下げ、ほかの登場人物たちの人生に少しだけフォーカスしたような物語が追加されているのだ。

結果的に、物語はより一層の哀しみをまとうことになる。

オリジナルだけ観て感じていた印象が、またガラッと変わってしまうわけだが、これが吉と出るか凶と出るか?

人によっては “知りたくなかった事実” を知ることにもなるかもしれないところが、この物語の世界観の濃厚さであり魅力でもあるのだ。

 


結果的に、前作よりも「泣いた」

 

すずが出会う人々には、前作で語られなかった “秘密” があった。

それは別に隠されていたわけではなく、単純にオリジナル版の映画化において割愛されたエピソードだった。故に原作を知っている人には周知の事実だったのであろう。

しかし、映画だけを観ていた俺にとっては初耳で衝撃の事実が突き付けられる。

 

すずが出会った遊郭の女「白木りん」の存在がまさにそれである。

オリジナル版では、呉の町で偶然に出会って仲良くなる同世代の美しい女性という印象で終わっていたが、そんな彼女が実はすずにとってとんでもなく大きな存在だったということが明かされる。

このエピソードを知ってしまうと、俺たち鑑賞者のすずに対する観方がまた変わってきてしまう。

 

りん「誰でも、この世界で、そうそう居場所はなくなりゃせんよ」

 

このセリフがさらなる重量感をもって背中にのしかかってくる。

もはや戦争映画ではない。

大人の恋愛ドラマの様相も見せる追加エピソードの破壊力にめまいがしそうになった。

 

こういった、新たな(さらにいくつもの)ドラマが加わった物語は、すずの周囲の世界により一層の色彩を与え、そこから得られる感動が無限に広がる。

もはや「すず」だけの物語ではなく、「それぞれのあの時代を生きた人々」の壮大なる群像劇となるのだ。

 

すず「この街では、みんな誰かを亡くし、探している」

 

まとめ

壮絶な環境で健気に生きる人々の物語。

しかし、そこには絶望ではなく希望が漂う。

辛い時、悲しい時に、人々はこの映画のことを思い出せばいい。

どんなときだって、人間は人間らしく生きられるということを思い出して、それをパワーに変えて欲しい。

 

ありがとう。この世界の片隅に、ウチを見つけてくれて。

 

この作品、全編が美しいセリフで溢れている。

 

最高だ。