『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を見て、こんな気持ちになりました
コロナ禍の中で公開が何度も延期されつつも、全宇宙待望の中でやっとこ決まった『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の公開封切日3/8は、なんと異例の月曜日だった。
つーことでスケジューリングの関係もあって、今まで『エヴァ』劇場版は欠かさずに初日の初回に鑑賞してきたという、俺の中のちょっとした自負というか、別に大したことじゃないけど個人的ステータスになっていたことが不可能となったのであった。
「エヴァ」を初日に観たい。
その理由はやっぱ、この作品を「エヴァ好きたちとみんなで分かち合いたい」ていうのが大きい。
だって公開初日にわざわざ観に行く人って、本当に観たかった人達、心待ちにしていた人達なわけだからさ。
そんな、期待と不安と興奮を胸のうちにたぎらせて足を運んでいるファンの人たち、共通のアツい気持ちを秘めた同志たちと一緒に観たいなって思うのは自然のことだよね。
エヴァンゲリオンが好きな人はいっぱいいて、コアなガチ勢もいればライトなファンもいるけど、「好き」なポイントがみんなそれぞれ違う。
きっとぞれぞれ、細かい部分で、見ている部分とか感じてるコトが違ってたり、解釈とかも違ってて、エヴァってそういうコンテンツで、だからこそこんなに熱狂的なファンが多いんだろうなって思う。
で、さっそく観た感想なんだけど、もう「感動した」。ただそれだけ。
「感動した」と、ひとことで言いきれる映画だった。
自分でも驚いたんだけど、すっごく泣いてしまった。
いままでエヴァで泣いたことなんかなかったし、当然のように旧劇のときもアニメのときも泣くどころじゃないくらい混乱してたんだけど、今回ばかりは、もう泣かずにはいられなかった。
シン・エヴァは文句なしに「面白い」から凄い
物語は、いままでじゃあ考えられないほどシンプルな話だった。
SFアクションとしてよくある話だし、人間ドラマとしてのメッセージ性もあって、人間とは? 社会とは?っていう。
なぜ自分がここにいるのか?みたいな、庵野監督の自身の青春の1ページを彷彿とさせるくだりなんかも盛り込みつつ。でも圧倒的に面白い。
エヴァってもともとシンプルな話だと思うし、ここまでファンが増えたのも「わかりやすさ」って部分が大きいと思う。映画としての、エンタメとしての有能さこそがエヴァの魅力なわけ。
元ネタみたいなものもあって、散りばめられた「キリスト教」モチーフ的な部分とか、そういうのの知識が皆無でも、ちゃんと面白いからエヴァは凄い。
面白いからこそ、ここまでメジャーでスペシャルなコンテンツになったわけだ。
オタクだけが楽しめるモノだったら、ここまで人気は出なかったはず。
だからいきなり新劇場版から見ても面白い。ほんと凄いアニメだと思う。
中にはドヤ顔でコアな情報を提示して「これ知らないでエヴァを楽しめないでしょ」みたいなファンもいるんだけど、もちろんそれはそうかもしれないけど、やっぱ娯楽としてのパワー凄いから。
ヴィジュアルなんだよすべては。
大スクリーンで、IMAXの音響で観るモノなんだからさ、要は映像としてのパワーを感じ取れば、それはもうエヴァを十分楽しんだと言えると思う。
ロボットアニメとしての面白さとか、特撮ドラマの興奮とか。
アクション表現や魅せ方とかのセンス、庵野監督のってとても独特で、自身が好きなモノ(ガンダムとかウルトラマンとかヤマトとか)そのへんの面白い要素をベースに、さらに自由に発想力を広げて表現されていてね。
それに興奮しない男の子がいないわけがないじゃんっていう。
ギレルモ・デルトロが『パシフィック・リム』で怪獣VSロボットやったり、マイケル・ベイが『トランスフォーマー』作ったり、スピルバーグが『レディ・プレイヤー1』でやったこととか。
まさに庵野監督の『エヴァンゲリオン』がそれなんだろうなって思う。
その想像力のパワーの凄まじさ。これに勝るモノはなくて。
ヴィジュアルの凄さ。表現のカッコ良さ。クールさ。デザインの発想力の世界観。
簡単にいうと庵野監督のエンタメ性が個人的に俺の好み。
唐突にメタ的な演出をブチ込んでくる感じも、庵野監督の照れ隠しなのかもしれないけど、とても好きだった。
エヴァは生まれ変わり続け、俺たちは振り回され続けた
1997年公開の旧劇場版は、前年に放映されていたテレビアニメ版のラスト2話をリメイクした内容だった。
春エヴァと呼ばれた『Death and Rebirth(シト新生)』公開時に、まあ初日だったこともあって、やっぱ観たかった人達が集まってたのもあるけど、上映終了後に、観客が拍手をするという状況に初めて遭遇したのを覚えてる。
それくらい、エヴァ熱が凄かった時代だった。
2007年に新劇場版がスタートして、「なんだよまたやんのかよ」って空気にもなったけど。
エヴァってそう考えると、テレビ版とか旧劇とかを、何度も何度もやり直してたわけで。
でもそれは興行的に儲かるからとか、政治的な理由じゃなくて、作り手が勝手にやり直したいって言ってやってて、だからファンは庵野監督についていったわけだ。
新劇場版がスタートしたときは 誰もがリブート的なモノだと思っていて、新劇場版の1作目の「序」で、これはリメイクなんだなって思ったんだけど、2作目「破」でマリが出てくることで衝撃をうけてしまう。
あ、これもう完全新作なんだ。
で、「破」でせっかく興奮したのに、次の3作目「Q」の開始早々でなんじゃこれ!と。
ショッキングな内容で、思わず「裏切られた」ってなる人続出。
「Q」を見終わったとき、というか「Q」を鑑賞中の俺たちファンの、「見たかったやつと違う!」っていう絶望感。あの気持ちを共有できるのも、初日に意気揚々と映画館に並んで観に行った俺たちだけの感覚だから。
ただ、今回この最終作である「シンエヴァ」を見て、いちばん重要なこととして、8年前の「Q」を観たときの俺の気持ちは必然だったんだなって思った。
「Q」鑑賞時の絶望は必要不可欠だったんだ。
それを含めて庵野監督が、やっぱり、映画を作って、エヴァの世界を表現して、なおかつ観客である俺たちにも寄り添ってくれてるみたいな。テレビ版や旧劇であんなに突き放した俺たちに、ここまで寄り添ってくれるんだ!っていう感動がデカかったのだ。
まとめ
つまり『シンエヴァ』は、俺たちにとってのエヴァの卒業式みたいなものだった。
「さらば、すべてのエヴァンゲリオン」。
テレビ版があって(95年)、旧劇場版(97年)、序、破、Q、という新劇場版がスタートして、そのシリーズ全部の存在を肯定して、それすべてに決着をつけるっていうのがこの「さらば、すべてのエヴァンゲリオン」という言葉なんだ。
とはいえ、エヴァは決してそれら存在する作品をすべて観なくちゃいけないってこともなくて。
最初に書いたように、エンタメとしての圧倒的完成度の高さがエヴァの魅力だから、ただ「物語の面白さ」とか「アクションの凄さ」とか「ヴィジュアルの美しさ」とかを、自分の目と、耳と、心で体感するのが正しい楽しみ方なんだろうなって思ったりしたのだった。
感想おわり。