ローデッド式デヴォンクラッチ

映画ファン最後の良心デヴォン山岡が映画を楽しみまくって感想を書きます。

これがウチらの戦争だ。号泣映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

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戦争に翻弄される一般市民のみなさんが必死で日々を生き抜く姿を描いた映画。

などと言われると俺なんかは「そんな悲惨なものを好き好んで観たくはない」という気持ちにならざるを得ないというか、特に原子爆弾投下前後のヒロシマ周辺のカオスを描いていると聞いたら気分はさらに落ち込む。

そういった理由で、かの超有名アニメ作品『火垂るの墓』だって観ていないし、漫画『はだしのゲン』なんかも超絶トラウマハードコア地獄絵巻として俺の中でのZ指定認定作品となっている。

戦争が悲惨なものであることはわかっているし、なんで娯楽たる “映画” というエンターテインメントでそれを改めて教えられなきゃいけないのだろうか。

戦争映画は、ノー天気な『パール・ハーバー』とか狂気じみた『戦争のはらわた』とか観てゲラゲラ笑って楽しむもんじゃないのかと。

 

2016年に公開し大ヒットした『この世界の片隅に』も、当然のように誰がどんだけ褒めちぎろうがひたすら無視を決め込んでまったく鑑賞する気はなかったのだが、なんの因果か今回この作品の再編集バージョン『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の試写会の案内が俺のもとに届いたのだ。

評判はさんざん聞いていたし、ただ悲惨なだけの物語ではないことも知っていた。

じゃあ、このタイミングに “体験” としてこの作品を観てみるのもいいか、なんて覚悟を決めて、まずはオリジナル版『この世界の片隅に』をAmazonプライムで鑑賞。

 

泣いた。

 

むちゃくちゃ泣いた。

 

戦争は兵士たちが殺し合うだけではない。

市民たちにとっては、壊れていく日常の中で必死に生活しつづけていくことが戦争なのだ。

 

「何でも使って暮し続けるのが、ウチらの戦いですけん」

 

悲しくもたくましいこんなセリフもあれば、毎日何度も空襲に合い、周囲に鳴り響く空襲警報に対して

 

「警報、もう飽きた!」

 

などと愚痴り、うんざりしながら防空壕へと避難するユーモラスなシーンがあったりする。

恐怖を通り越して、もはや空襲に “慣れ” を感じてしまっている日常がより一層恐ろしいではないか。

戦時中の日常のリアリズムがこういった些細なセリフに現れている。

 

空襲が続き、家族が死地に送り出され、配給の食べ物もわずかという絶望的な状況でも、人間は嘆いてばかりではなく、一生懸命にその日を生き抜いて、時にはユーモアのあるやり取りもしている。

どんな時でも人々は生活をし続ける。

絶対にタダでは死なないし、そう簡単には絶望しない。

生きることの壮絶さというか、人間らしさを失わない登場人物たちの “しぶとさ” に感動してしまった。

 

そして、なによりも主人公すずを演じる声優「のん」の、ボンヤリとした天然ボイスが過酷な環境の緊張感を和らげてくれる。

この作品の世界観に救いが溢れているのは、のん演じるすずのキャラクターパワーのおかげだろう。

 

しかしだ。

そんな素朴な価値観とおっとりとした性格のすずだからこそ、日本の戦争敗北の際に悔しそうに嘆く姿がまた凄まじいのだ。

 

「なにも考えんボーっとしたウチのまま死にたかった・・・」

 

戦時中も比較的ノーテンキだったすずに、ここまで言わせてしまう戦争の恐ろしさ、悲しさがより一層身に染みた。

 

というわけで、何が言いたいかというとこの世界の片隅に』は、大ヒット・大評判にふさわしい傑作アニメであった

2年越しでそれに気づいた自分自身のダメっぷりに愕然とするが、たとえ今更だろうがそれに気付けたことが喜ばしい。

 

そして今回、129分のオリジナル版にプラス40分の新たなエピソードを加えたディレクターズカットともいうべき完全版が公開となった。

その名も『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』。

(さらにいくつもの)とは、まさにオリジナル版では語られなかった小ネタ、しかしすずの物語をさらに深く掘り下げ、ほかの登場人物たちの人生に少しだけフォーカスしたような物語が追加されているのだ。

結果的に、物語はより一層の哀しみをまとうことになる。

オリジナルだけ観て感じていた印象が、またガラッと変わってしまうわけだが、これが吉と出るか凶と出るか?

人によっては “知りたくなかった事実” を知ることにもなるかもしれないところが、この物語の世界観の濃厚さであり魅力でもあるのだ。

 

 

 

結果的に、前作よりも「泣いた」

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すずが出会う人々には、前作で語られなかった “秘密” があった。

それは別に隠されていたわけではなく、単純にオリジナル版の映画化において割愛されたエピソードだった。故に原作を知っている人には周知の事実だったのであろう。

しかし、映画だけを観ていた俺にとっては初耳で衝撃の事実が突き付けられる。

 

すずが出会った遊郭の女「白木りん」の存在がまさにそれである。

オリジナル版では、呉の町で偶然に出会って仲良くなる同世代の美しい女性という印象で終わっていたが、そんな彼女が実はすずにとってとんでもなく大きな存在だったということが明かされる。

このエピソードを知ってしまうと、俺たち鑑賞者のすずに対する観方がまた変わってきてしまう。

 

りん「誰でも、この世界で、そうそう居場所はなくなりゃせんよ」

 

このセリフがさらなる重量感をもって背中にのしかかってくる。

もはや戦争映画ではない。

大人の恋愛ドラマの様相も見せる追加エピソードの破壊力にめまいがしそうになった。

 

こういった、新たな(さらにいくつもの)ドラマが加わった物語は、すずの周囲の世界により一層の色彩を与え、そこから得られる感動が無限に広がる。

もはや「すず」だけの物語ではなく、「それぞれのあの時代を生きた人々」の壮大なる群像劇となるのだ。

 

すず「この街では、みんな誰かを亡くし、探している」

 

 

 

まとめ

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壮絶な環境で健気に生きる人々の物語。

しかし、そこには絶望ではなく希望が漂う。

辛い時、悲しい時に、人々はこの映画のことを思い出せばいい。

どんなときだって、人間は人間らしく生きられるということを思い出して、それをパワーに変えて欲しい。

 

ありがとう。この世界の片隅に、ウチを見つけてくれて。

 

この作品、全編が美しいセリフで溢れている。

 

最高だ。

 


100点満点。

 

 

 

 

40年後のダニーくん、まさかのオーバールックホテル再訪! 『ドクター・スリープ』

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 オーバールックホテルの不気味な廊下を三輪車で縦横無尽に漕ぎ進んでいた可愛いダニーくんも、見事にやさぐれた大人に変貌。

髭モジャのオビ・ワン・ケノービ然としたアル中男と化しているところは、父親であるジャック・トランスの血統を感じさせるショッキングな未来である。

 

ダニー、お前もか(アル中)

 

しかし天性の能力である「輝き(シャイニング)」はいまだ健在。

というか、道を踏み外そうとすると、例のホテル事件からの師であるハローランの幽霊になんとか助けられ、これまで人生を台無しにせずに済んできたようだ。

 

例のホテル事件を生き残って40年後。あの頃の面影ゼロの、夢も希望もやる気も無くただ無気力な人生を送っているダニー君。

ここから何が起こるのかというと、予想の斜め上を行くとんでもないことが起こる。

いや、ダニーくんは巻き込まれる形で命がけの殺し合いに身を投じることになるのだ。

 

1作目の幽霊屋敷ストーリーから一転し、まさかのサイキックバトルホラーへと姿を変えた圧巻の続編。

オーバールックホテル関係ないところで再び刻まれる「REDRUM」の文字。

まるで『スターウォーズ』かのように、オビワン化してゆくダニーくん。

 

つまりこの作品、キューブリック版『シャイニング』の続編のふりをして、実は原作版『シャイニング』の続編となっている。

と言いつつ、キャラクターやヴィジュアル設定はキューブリック版を踏襲しているし、生垣の迷路も登場する。

 

 凄い。

 キューブリック版と原作版を見事に融合して続編を作っているのだ。

 

とんでもない芸当である。

監督のマイク・フラナガンという人、キング作品への理解が深いのか、キャラの描き方が丁寧だし、表現に容赦がない。さらにサイキックシーンに異様な迫力がある。

キングはホラー作家だが、実は超能力モノこそが得意分野である。

デビュー作の『キャリー』をはじめ、『デッド・ゾーン』、『ファイアスターター』、『グリーンマイル』などなど、孤独な能力者を描いた数多くの作品があり、『シャイニング』もそのひとつなのだ。

しかしキューブリックの映画は、ダニーくんの「輝き(シャイニング)」やもう一人の超能力者ハローランの存在に重きを置かずに、ジャック・ニコルソン演じるジャック・トランスが悶々として発狂するサイコホラー的要素を全面に押し出していた。

よって、映画版しか観ていない人には「なんで急にこんな続編になるの?」という印象になるかもしれないが、原作ファンからするともう問答無用の合格点。

『ドクター・スリープ』はなるべくしてこうなった最強の続編なのである。

 

 

 

オーバールックは静かにその時を待つ

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『シャイニング』の続編映画と聞いてまず思ったのが、え? どっちの『シャイニング』? という疑問である。

 

一般的に『シャイニング』といえば1980年に制作されたスタンリー・キューブリック監督の映画をイメージするが、原作であるスティーブン・キングによる小説とは似て非なる存在として語り継がれているからだ。

映画的に大ヒットしホラーの金字塔となったキューブリック版『シャイニング』。

モダンホラーの帝王スティーブン・キングによる原作版『シャイニング』。

ベースとなる物語は同じだが、その捉え方、恐怖の質、根底に流れる精神がまるで違う。

なぜなら、キューブリック神の存在をいっさい信じない男

オーバールックホテルの幽霊は超自然的かつ人知を超えた邪悪な存在ゆえに、キューブリックにとっては現実に存在しないモノなのである。

幽霊を心底怖がっているキングが作った『シャイニング』と、幽霊を信じないキューブリックが作る『シャイニング』。

2人の根本的な違いはまさにその精神なのだ。

 

あるインタビューでキングはこう言った。

 

キューブリックのような懐疑主義者にはオーバールックホテルの純然たる非人間的な悪を理解することはできない」

 

 

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しかしだ。

原作者たるキング御大は認めていなくても、俺にとってのキューブリック版『シャイニング』はかけがえのない人生の一本である。

計算されつくされたカメラワークと美術センスによる完璧な世界観は、シンメトリーにこだわるあまりヴィジュアルが整いすぎていて、逆に超自然的かつ禍々しいインパクトで脳裏にトラウマとして残り続けている。

また、映画開始早々からもはや怖いジャック・トランスの顔と、クライマックスで脅える姿が無駄に怖いウェンディの顔

さらに、キング御大もさすがに褒めたという「生垣の迷路」のアイデアの斬新さ。

原作とは別モノとして、ホラー映画としての魅力にあふれた最高の作品である。

それにキューブリックの残したオーバールックホテルのヴィジュアルがあるからこそ、『ドクター・スリープ』は超大作としての貫禄とスケール感を容易く手に入れられたと言ってもいいだろう。

 

続編は、ホテル事件が過去となった40年後を描いてはいるが、もちろんオーバールックホテルは登場する。

エモさすら漂うホテルの佇まい、館内の廊下、エントランス、バーカウンター、237号室(原作では217号室)。

ダニーくん40年ぶりの再訪に、まるで上京した息子がやっと故郷に帰って来たかのような微笑ましさを感じてしまったのは俺だけじゃないであろう。

 

 

シャイニングを喰らう者

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続編とはいえ、オーバールックの問題はすでに解決済み。

『ドクター・スリープ』は、それとまるで関係ないところから事件が始まる。

なぜダニーくんにも飛び火するのかというと、そこに「輝き(シャイニング」の能力が関わっているからだ。

人間の生気を食らう吸血鬼みたいな集団が存在し、生命力の強い子供たち、つまりシャイニングを持つ当時のダニーくんのような存在を喰らって生き続けているやつらがいるのであった。

人知れず行方不明になる子供たち。この流れは『IT/イット』にも近いので、まさにキングらしい物語である。

 

この悪い奴らをなんとかして止めなければってことで、シャイニングの先人としてのダニーくんが、弟子である才能豊かなパダワンと共にそいつらと対峙する。

しかもサイコキネシス幽体離脱的な念動力を駆使して敵をあぶりだしていくわりに、いざというときは普通に銃撃戦で殺し合ったりするのもショッキングで素晴らしかった。

ホラーの怖さよりも、殺し合いの陰惨さが常に漂っている緊張感あふれる展開がたまらないのだ。

 

 

 まとめ

 

最後にキャストだが、ダニーくん役のユアン・マクレガーはもちろん良かったが、セクシーなバケモノ「ローズ・ザ・ハット」役のレベッカ・ファーガソンの色気がたまらなかった。

さらに、40年前の再現シーンで登場するジャックとウェンディが、似せようとしているのかどうかがわからないほど微妙なヴィジュアルであった。

子供時代のダニーくんはかなり似ていたが(ハローランは本人←嘘)

 

とにかく、キングのおぞましい原作とキューブリックの完璧な映像、まったく別モノだった2つの芸術を見事融合させた素晴らしい続編であった。

長年、キングとキューブリックの『シャイニング』をめぐるバトルに付き合わされてきたファンも納得の出来。

 

 

問答無用の100点満点である。

 

 

 

 

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キューブリック版『シャイニング』の世界観を語ったドキュメント『ROOM237』も必見だ!



 

 

マンガ実写化の最高峰『シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション』に死角無し!

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人気コミックの実写映画化に成功例など皆無だ。

まったくもって我が国は、なぜダメだとわかっていながらもマンガ実写化映画を作ってしまうのだろうか。

進撃の巨人』実写化! 『キングダム』実写化! 『鋼の錬金術師』実写化! 断っておくがこれらはすべて観ていないが、観てないけど言わせてもらう。

 

クソであると!

 

「観ないで言うな」という意見には全力で反論する。

なんでこんなモノを観なくちゃいけないんだ! ふざけんなコノヤロウ!

 

脚本とか物語とか制作費の問題とかではなく、宣伝用ヴィジュアルから漂う美意識の低さを見ればクソであることが一目瞭然だ。

“実写なのでこのくらいが限界です”と、画作りの時点で初めから投げているような映画ばかりではないか。

原作通りのモノを作る気が無いなら作るなと言いたい。

フランス人が作った実写版『シティーハンター』のヴィジュアルを見ろ!

 

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笑ってしまうほどマンガそのまんまじゃないか! なんなんだこれは! 監督&主演のフィリップ・ラショーさんの正気を疑うぞ俺は!

 

フィリップさんは、小学生のころに見た『シティーハンター』のアニメに感銘を受け、大人になって見たまんまの世界観を映画化したというから驚き。

もはや日本映画界は「マンガ原作の実写化は難しい」などという言い訳はできないだろう。

実際にできているんだから。しかもフランスで。

 

この映画、どこからどう見ても『シティーハンター』である。

主要キャラクターの完成度、展開のバカさ、ギャグの下品さ、締めるところはしっかり締めるシリアスとコメディのバランスの良さ。

少年時代に監督のハートに染み込んだシティーハンターDNAが、これほどまで純粋無垢に原作を再現してしまったことに驚きを隠せない。

マンガ原作の映画化に必要なのは、売れっ子スター俳優でも、優れた脚本でも、大きな製作費でもなく、作品への大きな愛と尊敬なのである。

 

 

 

キャラクター完璧すぎ

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主人公の冴羽リョウとその相棒のカオリをはじめ、『シティーハンター』の主要登場人物たちが勢ぞろいするこの映画、何が凄いってヴィジュアルの再現度が凄い。

性格やプロフィール等のキャラ設定はもちろん、コスチュームから髪型まですべて再現している。

たとえば、シティーハンターの絶対的ヒロインである「カオリ」は、普段はボーイッシュで男勝りな相棒的存在なのに、ここぞというところでセクシー美女としての本来の姿を見せる。

そのへんの匙加減が絶妙で原作のまんまなのだ。

ちなみにカオリ役の女優、名前がエロディ・フォンタンというだけあって名前の通り本当にエロい。

 

 

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エロディ嬢のエロディなお姿

 

 

ライバルの殺し屋「海坊主」、サポートする刑事の「冴子」、かつての相棒でありカオリの兄「槇村」。

原作ファンにとってはお馴染みの主要キャラも完璧な姿で登場。

もはや原作への愛を超えた、病的なまでのこだわりが全編を貫いているのだ。

 

 

 

お色気オゲレツシーン完璧すぎ

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シティーハンター』と言えばハードボイルドに見合わないオゲレツな下ネタギャグを連発することで有名だが、そのへんの再現度もマジでR15になりそうなほど完璧。

というよりも、さすがお国柄と言うべきか、セクシーギャグのエロ度は日本よりも高い。

原作がドタバタ寄りの “微笑ましいお色気” だったのに対し、実写版はやっぱ「実写」なだけあって “生々しいエロ” になっているのがヤバイ。

 

パンチラシーンひとつとっても超絶セクシーで、リョウではなく俺たち観客が「もっこり」してしまうという4DX仕様。

 

描写としての「もっこり」は実写で難しいからと、逆に観客を「もっこり」させてしまうという監督の手腕には脱帽である。

 

 

 

まとめ

今回の日本公開はアニメでもお馴染みの声優陣を起用した、デラックス吹き替え版である。

リョウが山寺宏一、カオリに沢城みゆき、海坊主に玄田哲章、そして槇村は田中秀幸というヤバすぎるメンツに加え、とんでもない存在感で登場する神谷明に爆笑必死だ。

 

さらに凄いのがエンディング。

これは観てのお楽しみだが、脳があまりのショックで思考停止してしまうほどのエモいラストが待っている。

 

原作ファンは間違いなく必見。

この先、マンガ実写化映画に携わるであろうクリエイターにも必見。

監督のフィリップ・ラショーさん、実は『シティーハンター』のほかにもう一本影響受けたアニメがあり、それはドラゴンボールZとのこと。

 

次回作は決まったようだな。

 

 

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悲劇は繰り返さない



 

 

 

身近にいる嫌な奴を容易くお気軽に地獄送り。『地獄少女』はいじめられっこの味方!

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アクセスして名前を入力するだけで、その人間を地獄に送るインターネットサイト【地獄通信】

そんな、何のヒネリもないそのまんまな名称のサイトの管理人の名は、これまた「閻魔あい」というそのまんまな名前の少女であった。

いや別に無理にヒネった名前を付ける必要はないが、そのサイトが「午前0時ちょうどにのみアクセス可能である」という設定も小学生が考えたみたいに安直で逆に不気味だ。

しかもそんなウワサが普通に一般の高校とかで広まっているのも凄い認知度。

闇サイト感ゼロの超ポピュラーな復讐サイトとして市民権を得ているといっても差し支えないであろう。

当然のように、いじめられっこなんかが恨みにかられて気軽にアクセスし、気軽にいじめっこを地獄送りにしたりする。

 

なんという気軽さ。

 

近所のコンビニにでも立ち寄るような気軽さで復讐ができてしまう【地獄通信】、学校や職場で孤立しがち、いじめや悪意のターゲットにされがちなそこの君におすすめだ。

 

とはいえ、安直に依頼可能なぶん、復讐にはそれなりの代償が必要。

それが、≪復讐した者は自らも死んだら地獄に落ちること≫という契約ルールなのである。

ターゲットは即座に地獄へと送られる、しかし、自分もいつか死んだときに地獄少女によって地獄に送られることになる。

つまり死後の自分を代償とする契約なのだ。

嫌な奴が死ねば、とりあえず現状は安泰になるし、自分も寿命で死ぬまでは地獄行きを待ってもらえる。

だったら、なんとなく復讐してもいいかなって気持ちになってもおかしくはない。

いじめなどで死にたいぐらい追い詰められていたらなおさらそう思うはずだ。

気軽に復讐できるシステムは整っているが、それを決意し実行するには覚悟がいるという、シンプルゆえに人間の心の葛藤が伝わりやすい設定になっているのがこの作品の面白さだ。

 

 

玉城ティナの常人ならざる存在感

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依頼があればその日のうちに仕事に取り掛かるストイックな地獄少女閻魔あいちゃんを演じるのは、青春映画の名作と名高い『惡の華』でも地獄の使者みたいな女の子を演じた玉城ティナ嬢である。

最近はキャラ重視の独特な役柄ばかり演じているようなイメージの彼女は、モデル出身とは思えないほど異形の存在感が際立っている。

「いっぺん、死んでみる?」というお馴染みの決めゼリフ(「“殺し”文句」なんてダジャレは恥ずかしくて書けない)も、普通に言われたら笑ってしまいそうであるが、クソムシでも見るような蔑んだ目のティナ嬢に言われると問答無用で心臓が止まりそうだ。

 

しかしこの映画、そんな地獄生まれ地獄育ちのティナ嬢が主役かと思わせて、実はまったく違う。

人気アニメの映画化ということで、当然のようにそんなものは未見な俺は、鑑賞前までこの映画を、閻魔あいちゃんが「地獄少女」であるという正体を隠して学園生活を送り、人知れず事件を【地獄送り】で解決していくような作品だと勝手に想像していた。

復讐版『名探偵コナン』、もしくは女子高生版『必殺仕事人』みたいなやつかと思ったけどぜんぜん違った。

 

なんと閻魔あいちゃんは、依頼者が【地獄通信】にアクセスしたときとターゲットを呪い殺す際にしか出てこない(アニメ見ている人には常識なんだろうけど)。

この映画の主人公は、恨みと悲しみに囚われた女子高生たちなのである。

日常生活で起きる理不尽で無慈悲な出来事に翻弄される善良な女の子たちが、少しづつ闇へと落ちていく過程がスリリングかつ丁寧に描かれ、ついに禁断の「復讐」へと導かれる。

そのとき初めて、地獄とこの世を繋ぐ存在として着物姿の美しき地獄少女ティナ嬢が現れるのだ。

14歳で『ViVi』の最年少専属モデルに選ばれたというその容姿は、まさに地獄のような美しさ。というかエロさ。

そう、ティナ嬢の凄さは、そこに「妖艶さ」が漂っているところ。

その妖しい魅力と神々しさを併せ持つティナ嬢の姿そのものが、絶望した依頼者の覚悟を受け入れる存在としての説得力となっているのだ。

 

 

完璧なるキャラクター創造は白石監督ならでは

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監督の白石晃士と言えば、Jホラー最後の傑作と謳われた『貞子VS伽椰子』でも見せたキャラクターの描き方の巧さが特徴だ。

とにかく登場人物に魅力があり、だからこそドラマ展開に違和感がなく感情移入しやすい。

主人公ともいうべきドラマの中心的存在の女子高生役の森七菜ちゃんが超絶カワイイが、最初は主体性のない地味で素朴な女の子なのに、物語が進むにしたがってどんどん強さや行動力を見せてくれる。

その友人のミステリアスで硬派な女の子役の仁村紗和、スターになる素質十分だが夢破れるアイドル役の大場美奈、そして地獄少女の存在の謎を追うフリーのルポライター役の波岡一喜

どのキャラクターも、一筋縄ではいかない複雑さと人間的魅力に溢れた存在としてドラマを盛り上げてくれる。

 

ちなみに、波岡演じるルポライターの役名は「工藤仁」といい、白石監督のホラーシリーズ『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』における名物ディレクター「工藤仁」と同姓同名。

“怪奇の謎を探るためには危険にも飛び込む”という危ない性格をも受け継いだ形で登場するのでファン必見である。

 

まとめ

地獄少女』は映画版のオリジナルストーリーだが、これがかなり練られていて青春映画としても非常に面白い。

さらに女の子同士の友情物語であり、カルト集団を描いたオカルトサスペンスでもあり、原作アニメのファンタジー感をベースにしつつ、さまざまな面白さがバランスよく機能しているのは監督の実力のなせる業であろう。

 

ただひとつ、アニメを知らない人間から言わせてもらうと、閻魔あいちゃんと登場する3人の仲間のオバケがどうも必要性がわからなかった。

ただ脅かし要員としてそのへんにいるだけなんだけど、麿赤兒や橋本マナミ、楽駆と、妙に派手なビジュアルの面々なので賑やかし感が凄くてドラマとしては興冷めしてしまいがち。

わざわざアニメに寄せた部分なんだろうけど、原作ファンにとってはアリなのかどうかが知りたいところだ。

 

 

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つまりこっちのほうが見たい

 

すべてのホラー映画の集大成にして頂点! 『IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』

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IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』は、スティーブン・キング原作小説の映画化作品『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』(2017)の続編であることは言うまでもないが、タイトルがとにかくややこしい。

 

1作目IT/イット “それ”が見えたら、終わり。

 

2作目IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』

 

タイトルの真ん中に「THE END」が入っているかどうかがその判断基準になることは、こうしてタイトルを並べてみれば一目瞭然だが、ただでさえクソ長いタイトルが余計長くなったわりに、ぜんぜん見栄えが変わっていないしパッと見で判別しずらい。

1作目の原題『IT』が、邦題『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』というハッタリ感満載のダサすぎるタイトルになったのは100万歩譲って理解&納得しよう。

そのおかげで、この映画が多くの人に認知されたのは間違いないし、タイトルのインパクトだけで「なんか怖そう」とアピールする上ではとても有効な手段だったのも認める。

とはいえ、味をしめたからといって2作目にまで「“それ”が見えたら、終わり」をつける意味はあったのだろうか?

1作目を観た人間にとっては「“それ”が見えたら、終わり」などというサブタイトル(というか寒タイトル)が、作品の世界観とまるで異なる、観客動員だけを狙った無粋な宣伝コピーであることは周知の事実。

しかし偉大なる広告代理店様は、そんなことはおかまいなしとばかりに、恥ずかしげもなくこの文言を「ヒット最大の要因」とばかりに観客に押し付けてくるのである。

原作者のスティーブン・キングがこの状況を知ったらどう思うのだろうか?

 

別にいいんじゃない? それでヒットするなら。

 

と、キング御大なら普通に言いそうではあるが。

 

 

 

子供の友情、大人の孤独

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原題『IT:chapter two』

どうだ、このシンプルでありながらも忌まわしさが漂うハイセンスなタイトルは。

1作目で、モンスター界のジョーカー(そのまんま)こと「IT」a.k.a ペニーワイズは、「ルーザーズクラブ」の少年少女たちによる勇気と知恵によって完膚なきまでに叩きのめされた。

しかし、その物語には“続き”があり、「恐怖はまだ終わっていない」という無慈悲なタイトル。

チャプター2は、ルーザーズクラブの面々がそれぞれの道を歩んで大人になった27年後から始まる。

27年というのは、呪われた町「デリー」で、ペニーワイズが子供たちを殺しまくる周期である。

1作目における子供時代のペニーワイズ戦は、恋あり、友情あり、そして絶対者なる親の支配から逃れるまでの成長物語でもあった。

しかし2作目のペニーワイズ戦は、すでに大人になった彼らが、社会との繋がりの中で自分自身と闘う物語となっている。

大人の彼らは、なぜか全員が孤独な境遇に置かれており、しかもペニーワイズとの壮絶な攻防戦をすっかりと忘れている。

さらに、あのとき友情を誓った運命の7人が全員揃うのかと思えば、ある理由によって1人だけ現れない。

このへんの容赦のない展開が『IT』の恐ろしさなのだ。

もはや1作目に漂っていたファンタジーの要素はゼロ。故郷に戻ったルーザーズクラブには嫌なことしか起きないのであった。

ルーザーズの面々は、過去のトラウマと改めて対峙し、思い出した絶望と恐怖にどう立ち向かうのか?

子供時代は「友情」が勝利を握る鍵であったが、今回はまず「孤独」という壁が大きくぶち当たるのが大人編のリアルだ。

ペニーワイズが狙う生贄は、いつも「孤独な者」であった。

虐げられた者、取り残された者、愛されない者、強いコンプレックスを持つ者。

だからこそ団結したルーザーズにペニーワイズは手も足も出なかった。

しかし今回、ルーザーズが再会を果たしたからといって、27年間孤独に慣れた大人たちが簡単に団結などできない。ペニーワイズは巧妙にそこをついてくるのだ。

この作品が単なるホラー映画じゃないところは、まさにその人間ドラマとしての奥深さにある。

ルーザーズたちは、子供時代を思い出しながら自分自身の孤独の原因を見出し、大人として解決を試みる。

血と暴力の圧倒的なホラー表現を織り交ぜながら、登場人物たちの自己との闘いを見事に描いており、スティーブン・キングのあのクソ長い小説をよくもまあこれほど巧くまとめたものだと感心する。

 

 

 

ホラーのすべてが詰まった集大成

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原作の『IT』は、スティーブン・キング本人が敬愛するホラー作品のモンスターが大勢登場する小説である。

読んだことのない人に説明すると、ペニーワイズは対象者の恐怖を具現化するので、ジョーズやミイラ男、フランケンシュタインなど、子供が見たり聞いたり読んだりした架空のモンスターたちが恐怖の対象として出てくるのだ。

キングは『IT』のことを、あるインタビューでこう語った。

 

「子供のころの恐怖が、大人になって急に湧き上がることがある。それを表現したのがこの小説だ。これは、ホラーのなにもかもを詰め込んだエピック・ホラー・ムービーなんだ」

 

このインタビューは1985年に、キングが『IT』発表前に次回作の告知として話した内容である。

すでにこの時点で、キングは『IT』に対して「エピック・ホラー・ムービーになる」と堂々たる予言をしていることに驚く。

ホラー世界においてキングの言葉は常に絶対なのだ。

 

今回『イット/THE END』において、このモンスター総動員の表現は過去のさまざまなホラー映画の恐怖シーンを集めることで実現した。

ホラー映画好きだったら悶絶してしまうような、あらゆる名作ホラーの名シーンがドカドカ登場するのである。

キングは『IT』を、自身にとっての “最終試験のような作品だ” と言ったが、この映画は俺たちホラーファンにとっての“最終試験”になるかもしれない、まさに完全なるエピック・ホラー・ムービーとなっているのだ。

 

 

まとめ

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とにかく完璧。

完璧という言葉しか出てこないほど、すべてが詰まった究極のホラー映画だ。

内容はもちろんだが、キャストにも触れておこう。

大人になったルーザーズは豪華メンバーだらけである。

ジェームズ・マカヴォイジェシカ・チャステイン(エロい)、ビル・ヘイダー、デブだったベン君なんかマッチョなイケメンになっていて驚きの成長っぷり。

さらに、原作者である「神」ことスティーブン・キング御大も非常にユニークな役柄で出演しているのでそのへんも要チェックである。

ペニー・ワイズ役のビル・スカルスガルドの激キモ演技は言うまでもないであろう。

 

上映時間はまさかの169分。

 

169分!

 

びっくりした。

3時間近くもあったとは。しかし面白すぎて体感時間は1時間半くらいなので大丈夫。

マジで。中だるみ無しで全編フルスロットルで面白いので、事前にオシッコとウンコをしっかりと済ませて恐怖の長旅を楽しんどくれ。

 

ちなみに点数はもちろんこうなる。

 

100点満点。

 

 

 

【注】情緒もクソもない日本語吹き替え版予告

 

『イエスタデイ』は、自分がどれだけビートルズが好きだったのかを思い知らされる映画どぁ!

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ビートルズのいない世界。

そんな悲しくも味気ない世界がもしあったとしたら、音楽は、カルチャーは、人類はどんな未来を歩んでいたんだろう。

ビートルズが存在しないということは、当然のように音楽界にビートルズの影響が無いということになるので、ポップスもロックも、なんならソングライティングのスタイルさえも今とはまるで違っている可能性も捨てがたい。

この映画の凄いところは、そのへんを妥協しないところで、つまりビートルズがいないってことはオアシスもいない。

ビートルズのスコアbookが売っていないので、きっと若者はギターを始めようと思わない。

そんな容赦のない世界観なのだ。

 

何を隠そう、俺ですら中学生時代にギターを始めたきっかけはビートルズで、発狂しそうになりながら必死で「In My Life」を練習した記憶がある。

俺にとってビートルズは初めてづくしの存在だった。

初めてバンドメンバー全員の名前を覚えたのはビートルズだし、初めて演奏とソングライティング両方をこなすバンドとして意識したのもビートルズ

音楽は聴いたり演奏するだけじゃない、自分で作ってもいいんだ! という発見があった。

俺だけでなく、多くの音楽好きがビートルズによって大きな感動となんらかの閃きを授かっているであろう。

 

『イエスタデイ』は、そんなビートルズの存在を誰も知らない世界に来てしまったミュージシャンの話。

しかもそいつが、じぇんじぇん才能が無くて、見た目も冴えなくて、根はいいけどダメダメな感じで、そろそろミュージシャンの夢を諦めようとしている男なのである。

 

目が覚めたら、ビートルズを知っているのは自分ひとりだけ。

 

どうする?

 

 

愚問である。

 

 

 

そんなもん盗作するに決まってる!

 

 

 

 

世間を熱狂させるビートルズの鬼楽曲が凄い!

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現代人がもし初めてビートルズを聴いたらどんな反応を見せるのだろうか。

そんな不謹慎な好奇心を満たしてくれる、売れないミュージシャン【ジャック】の華麗なる盗作劇。

「Yesterday」、「In My Life」、「Let It Be」と、名曲中の名曲を大胆かつ堂々と「これ、俺の曲」などとノタまい披露していくジャックのふてぶてしさたるやギネス級。

神をも恐れぬ悪魔の所業であるが、それが痛快で微笑ましいから困ってしまう。

 

あっという間に人気ミュージシャンのエド・シーランに目ざとく発見され、彼のライブのオープニングアクトをゲット。

つーか、エド・シーラン君、映画に出るときいつも本人役だからウケる。

 

そんな感じで、ビートルズの奇跡のメロディは遂にジャックの作品として世間に知られることになるわけだが、もう当然のように音楽業界が震撼しまくる。

ビートルズの楽曲の凄さは、その完全なるメロディラインと、さまざまなジャンルの音楽を取り入れて生み出された独創性。

それは、誰がどの時代に聴いてもやはり革命的に素晴らしいのだ。

結果、ジャックがビートルズの楽曲でド派手に売れてしまうわけで、天才降臨! なんて持ち上げられたりして、おいおいこれどうなっちゃうの? というスリルとサスペンスで先読み不可能な展開が待っている。

こんな大胆な脚本、よくもまあ実現させたものである。

 

 

 

 

鬼アレンジで魅せるビートルズの鬼楽曲が凄い!

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ジャックは誰も知らないのをいいことに、次々とビートルズの名曲を“そのまんま”パクりまくる。

しかし、ビートルズの楽曲ってさ、曲名もメロディもほとんど知っているけど、実際に正確に歌えと言われたら非常に厄介だよね。

たとえば「Eleanor Rigby(エリナー・リグビー)」なんか、メロディもコード進行も容易く思い出せるけど歌詞はすげえうろ覚えだったりする。

ジャックもそのへんで非常に苦労するのがとてもリアルで面白いのだ。

有名な曲でもそんなハッキリ覚えているわけないし、練習する際に何度も「あれ? この曲って歌詞どんなだっけ?」なんて悩みまくるジャック。

しかも存在しないバンドの曲なので、調べても誰も教えてくれないし、答えは自分自身の記憶の中にしかないというね。

盗作するのもいろいろ大変なんだなあ。

 

で、そんな苦労をしながらもジャックによって奏でられるビートルズの数々の名曲が、この時代ならではのアレンジで表現されるのだがそれがまた素晴らしくカッコイイ。

ジャックとしての解釈で再構築したビートルズの楽曲は、新鮮なのにオリジナルの感動をもしっかり残している絶妙なサウンドに仕上がっているのだ。

 

 

 

まとめ


ビートルズの楽曲で多くのヒットを飛ばしてしまう順風満帆な盗作男ジャックだが、彼は真面目な男ゆえに自分のやったことへの葛藤があるし、彼を唯一理解してくれるガールフレンドとも溝が出来てしまうしでもう大変。

ガールフレンド役は『シンデレラ』(2015)で俺のハートを撃ち抜いたリリー・ジェイムス嬢で、健気にジャックを慕う姿が可愛すぎた。

 

音楽映画であり、異世界ファンタジーであり、ラブコメディでもある、至れり尽くせりのエンターテインメント作品ではあるが、もしかしたらラストの展開には賛否があるかもしれない。

ラブストーリーとしてのハッピーエンドを望むか? 異世界ファンタジーとしてのハッピーエンドを望むか? という鑑賞者の好みにもよるかもしれないが。

 

俺の個人的な評価としてはこんな感じである。

 


100点満点!!!

 

 

『ジョーカー』が民衆の英雄として祭り上げられるこの時代のリアルに乾杯!

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働けども働けども困窮した生活から抜け出せない貧しいみなさん、社会との隔たりを感じ孤独感と絶望感にさいなまれているみなさん、自分よりも不幸な人たちには優しくしてあげたいけど幸福な奴らは全員死ねとか思っているみなさん。

そんな底辺な人々が「俺たちの神!」とか言って崇拝したくなるのもわかる『ジョーカー』誕生の瞬間。

 

なんか本当にいい話ですよね。

 

根は真面目で良識人でありながらも、その障害と不器用さで社会から虐げられまくり闇落ちしていくジョーカーさんに感情移入できない人は、いままでお金で困ったことが無い人か真正のバカかその両方かのどちらか。

特に、コメディアンを目指していたジョーカーさんが、逆にその「スベリ」具合を晒されて笑い者にされてしまうところなんか、俺はシンパシーを感じずにはいられなかった。

そんな世界一報われない男ジョーカーさんが笑顔と共についにブチ切れるカタルシス

クソったれな社会へのたったひとりの反乱は、民衆がため込んだ不満とストレスを派手に爆発させるトリガーにもなるのだ。

 

これはアメコミ映画であり、舞台は架空の町ゴッサムシティ。

なのに俺たちは、ジョーカーさんに自分たちの置かれた境遇を重ね、ゴミの散乱した薄汚いゴッサムに現実の社会を重ねるのである。

貧困層と富裕層の格差はどんどん広がり、なのに税金はますます絞り取られ、将来も老後も不安しかない俺たちの現実。

 

年金を払えだと? ふざけんじゃねえ! こんなゴミみたいな給料でいったいどうやって払えばいいんだ! 老後もクソもあるかボケが!

 

などと、思わず映画館帰りにダイソーのパーティグッズコーナーでピエロのマスクでも買って、そのままバカ笑いしながら街中で金属バットでも振り回してやろうかと思ったが、もちろんそんな非常識なことはしない。

せめてもの抵抗として、レンタルショップでいつもよりもちょっと暴力的なAVを借りるにとどまる小市民の俺。

そんな些細なストレス解消が、俺たちの怒りを制御する大切な自律神経安定の方法になってるのかもしれないよね(反論は却下)

 

 

ホアキン・フェニックスのすげー演技

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もともとホアキンは演技派という印象だが、ジョーカーホアキンは体重も絞りに絞って神経衰弱ギリギリの演技を見事にこなしている。

ビューティフル・デイでの自殺願望に囚われた殺し屋役にも近いが、今回は例の “心が動揺したときに面白くもないのにバカ笑いしてしまう病” のおかげでさらなるブッ壊れ感を醸し出している。

 

ジョーカーさんの「バカ笑い病」は【ここぞ】というタイミングで発動するのが本当に素晴らしい。

 

俺も一度ツボに入ると笑いが止まらなくなる性分なので、TPOをわきまえずに笑いがこみ上げてくるスリルをジョーカーさんと共に追体験することができた。

「人がバカ笑いしている姿」って、周囲の人間からするとかなり気持ち悪くて異様に見えたりするもので、そんなジョーカーさんの病気を目の当たりにした人たちが精一杯の不快さを見せるところも世知辛くて良かった。

 

しかも、そんな男が目指すのがコメディアンであるという地獄の願望。

母親と暮らす冴えないコメディアンの男が、自分の才能を信じて空回りしまくる『キング・オブ・コメディ』(1983)という映画があったが、その主役を演じたロバート・デ・ニーロが、ジョーカーさんの憧れの人気コメディアンとして登場するという “そのまんま” な遊び心も凄い。

ジョーカーさんは拳銃を手に入れた際に、同じくデ・ニーロ&スコセッシのタクシードライバー』(1976)の真似事をしたりするので、完全に作り手が狙ってやっているのだ。

 

これはそういう話なんですよと。

 

どちらの映画も、孤独な男が社会から疎まれ徐々に狂った妄想にかられていく様を描いた作品であり、アメコミ史上もっとも有名なヴィラン、ジョーカーさんもまさにそんな夢も希望も無い生い立ちの人なんだよと。

ひとつだけ違うのは、この2作品が狂気にかられた男(どちらもデ・ニーロ)を憐れみながら観てしまう作品なのに対して、『ジョーカー』は、狂気にかられるジョーカーさんを応援しながら観ちゃうというところ。

似たような境遇の似たような人間であるにも関わらず、ジョーカーさんへの同情と共感が半端ない。

今がそんな時代であり、俺たちはゴッサムシティの虐げられた貧困層そのものだということかもしれない。

 

 

しかしこれはバットマンの物語でもある(ちょっとネタバレ)

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本作は、ジョーカーさん誕生の物語であると同時にバットマン誕生の物語でもある。

この先『バットマン・ビギンズ』、そして『ダークナイト』に繋がるストーリーともとれるし、ティム・バートン版『バットマン』へ繋がる流れとも見ることができるのが面白い。

可愛すぎる幼少期のブルース・ウェインくんとジョーカーさんが対面するシーンのエモさはファンにはたまらないであろう。

ラスト、ジョーカーの乱の勃発が原因でブルースくんの闇が生まれるという、まさに宿命ともいうべき因果関係にロマンチックが止まらない。

この映画は、決して可愛そうなオジサンがブチ切れて社会にケンカを売るだけの話ではないのだ。

 

 

 まとめ

 

『ジョーカー』は問題作としての宣伝が成功し大ヒットを飛ばしていて、バットマンシリーズであることが忘れられがちなところが寂しい。

鑑賞した人々のさまざまな意見が飛び交い、まるで『ジョーカー』について語ることがトレンドであるかのような勢いだ。

かくいう俺も、鑑賞直後にもっともらしい感想をtwitterで発信してご満悦であったが、そういった現代的な楽しみ方で映画が大ヒットするのもまた一興じゃないか。

ただ、ひとつ言わせてもらうと、『ジョーカー』観て絶賛してるやつ、他のバットマンシリーズもちゃんと観ろよ。

 

というわけで 

問答無用の100点満点!