ローデッド式デヴォンクラッチ

映画ファン最後の良心デヴォン山岡が映画を楽しみまくって感想を書きます。

ブッ飛びハイテンションホラー『マリグナント 狂暴な悪夢』は超王道なのに超新しい!

 

熱心なホラーファンのみなさんが口をそろえて「マリグナントやべー!」とか言ってるこの状況、マジで最高である。

 

しかも今回は、日本公開時に『死霊館』みたいなダジャレタイトルでポップな感じで宣伝されずに、ちゃんとホラー映画らしくクールな広告で周知されたのもホント良かった。

 

なんと、こんなにネタバレ厳禁でヴィジュアル出すのが難しい作品なのに、予告編を見てもどんな映画か分かりづらくなっていてマジでいい仕事してる。

 

ホラー映画やスリラー映画は、よっぽど陰惨な作品でない限り「面白おかしく」宣伝されがちで、シリアスな作品でも平気でつまらない冗談みたいなサブタイトル付けられたりするのでホント厄介。

 

その点『マリグナント』は、まさかの陰鬱でも悲惨でも真面目でもなく、テンション高すぎ、アクション多すぎ、ストーリー攻めすぎ、展開ムチャクチャすぎなブットビホラー映画なのに、なぜかめちゃくちゃクールかつ落ち着いた感じで宣伝されているのだ。

 

おかげさまで、俺の鑑賞モチベーションも下がらず、公開1周目に足取り軽く映画館に向かうことができた。

 

死霊館』シリーズ大好きなのに、「悪魔のせいなら、無罪」っていうサブタイトルがどうしても我慢できなかった俺からすると、本当にこの宣伝の冷静さはありがたい。

 

というわけで、この『マリグナント』は、『死霊館』や『ソウ』シリーズなどでホラー映画の新たな可能性を広げ、さらに『アクアマン』や『ワイルド・スピード』などの一般大作をも素晴らしいクオリティで完成させてきたジェームズ・ワン監督の最新作である。

 

これまでの華々しい活躍を経て、『死霊館 エンフィールド事件』以来の久々のホラー映画復帰作。

そして、まさにこの作品が、今のホラー映画の最先端とも言える超絶大傑作となったのである。

 

『マリグナント』前半戦の凄いとこ

 

オープニングから凄い。

 

開始早々からとんでもない勢いで突っ走るので、観客にかかるG(重力加速度)がヤバイ数値になる。

 

動き出しはスローに上へと登っていくはずのジェットコースターが、スタート直後から最高速度でぶっ飛ばすみたいな感じ。

 

予想外のスピード感に圧倒されるし、いきなり舞台が精神病院だし、しかも開始1分たらずで狂った患者が大暴れしているしで初っ端から画面がカオス。

 

開幕早々に映画も観客も大混乱というすごい状況なのだ。

 

で、オープニングは血と脳みそが大写しの手術シーンがカッコイイBGMと共に映し出されたりして、一体何が始まるのかが全然予想できない。

 

そう、この作品、もし観ていない人がいるならば、ぜひとも事前情報ゼロで観て欲しい。

 

俺はポスターだけをチェックして映画を観たので、序盤でもう「こんな映画なの!?」っていう驚きが凄かった。

 

シネコンだったら、違う作品のスクリーンに間違って入っちゃったのかも?って心配になるレベルである。

 

冒頭のチープなモンスターホラーを思わせる導入が、まるでジョエル・シルバー製作みたいなテンション感で微笑ましいわけだが、舞台は現代のとある夫婦の住む一軒家へと変わってからオカルトホラー、もしくはスラッシャーホラー的な緊張感のある物語が展開する。

 

雰囲気やテンションがガラっと変わるので、観客はさらに困惑するといった状況である。

 

精神的に不安定な女性が見えない不安感と悪夢に悩まされ、彼女とは関係ないところで「知らない誰かが死ぬ」というサスペンスは、ホラー映画にはよくある設定だとは思う。

 

しかし、あまりにも見せ方が大胆かつ予想外で、「謎」とかそういうの以前にめちゃくちゃヴィジュアル的な刺激が強い。

 

前半の時点で、もはや怖がらせる気はなく、ひたすらエンターテインメント要素満載の展開が続くのが本当に凄いのだ。

 

 

『マリグナント』後半戦の凄いとこ



後半戦になるともう、前半に出て来た謎や伏線を回収するどころかテーブルごとひっくり返すような常識ハズレの物語が描かれるのでマジで死にそうになる。

 

先述したとおりホラーにはありがちな王道設定なので、俺も一応はオチを予測するが、すべてその想像の斜め上のほうをド派手に超えていく展開が圧巻なのだ。

 

悪夢の正体=予想通り

殺人鬼の正体=予想通り

システム=予測不能

見せ方=常識ハズレ

アクション=スーパーヒーロー

オチ=ムチャクチャ

 

クライマックスの警察署のシークエンスとかマジで歴史に残るとんでもないアクションが観られるので絶対に必見だ。

 

まとめ

 

ジェームズ・ワン監督が「やりたいことを詰め込んだ」この作品は、もうホラー映画でありながらホラー映画の表現の枠を超えて、さらなる進化を遂げたと言ってもいいだろう。

 

「怖さ」と「面白さ」が同居したエンタメ性の高い作品で、ホラー映画好きにとっては奇跡のような出来になっているし、「ホラー映画の楽しさを知られる」という意味では、ホラー初心者にも持ってこいの作品でもある。

 

暴力描写はそれほどでもないのにR18指定なのがザンネンだ。これ、多感な時期の中学生とかが観たらマジで大ハマリすると思う。

 

興味のない人が一瞬で「映画好き」になること間違いなしの、超面白くて超刺激的な傑作だった。

これもう間違いなく今年ベスト確実でしょう!

 

 

DC嫌いな俺が常識ハズレのバイオレンス巨編『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』を観て興奮しまくった感想

これもう、まさに「望んでいたモノが見れた」と言っても決して華厳の滝ではない、最強のバイオレンスアクション巨編だった。

 

ジェームズ・ガン監督マジで天才。

 

そもそも、俺はDCコミックの映画にはそれほど思い入れがなくて、しっかり劇場で見ているのはバットマン『スーパーマン関連くらいで、『アクアマン』ワンダーウーマン、前作のスーサイド・スクワッドハーレイ・クインの華麗なる覚醒』なんかは興味持てなくて最近DVDでやっと観たくらい。

 

理由は「なんか面白く無さそう」という単純明快なものなんだけど、実際観て見ると本当に面白くない。

 

映画ファンの間で評判の良かった『アクアマン』もそれほどハマらなかったし『ワンダーウーマン』に関してはもう1作目がアレだから続編すら観ていない。

 

で、そんな中でも圧倒的に面白くなかったのは、もちろん『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』であることは言わずもがな。

 

ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』が好きな人(そんな人いればの話だけど)には大変申し訳ないんだけど、あんなに刺激の無いアメコミ映画はじめて観たかもしれないってくらい、悪い意味でポップで健全で毒気ゼロな作品だった。(もちろん半分くらい早送りして観た)

 

なので、今回の新作『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』は1作目の続編的立ち位置だっていうし、普通ならスルー確実なわけだが、やはり監督がジェームズ・ガンと聞いて無視できるわけがない。

 

俺の中でDC映画への対応とは真逆となる、大好きすぎるMCUマーベル・シネマティック・ユニバース)作品の中でも名シリーズと言われているガーディアンズ・オブ・ギャラクシーを手掛けた、今世紀最高に信頼できるクリエイターさんであるからして、そんなもん観るしかねえのである。

 

いやマジでヤバかった。

 

先ほどから『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』が相対的にディスりの対象になってしまって申し訳ないんだけど、『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』に無かったモノがすべてあるというか、「悪党」を描くうえで必要な精神というか思想というか、とにかく誰にも媚びない作品になっていたのだ。

 

描かれるのが「悪党」ゆえに、表現に “社会的道徳” が見え隠れしてしまうとマジで興冷めしてしまうこっちからすると、今回のスースクの残虐さ&過激さはまさに「見たかった悪党の物語」なのだ。

 

 

超絶エキサイティング! 今世紀最高のオープニングシークエンス!



ジェームズ・ガン監督が好き放題暴れているとしか思えないオープニングシークエンスがマジで素晴らしかった。

 

しょっぱなで、ガン監督作品常連のある俳優のキャラクターに観客をムダに注目させて、そいつを無慈悲にあっけなくぶっ殺して開幕するショックすぎるオープニング。

 

もう信じられないくらいクレイジーな演出してて、開始5分でもう「あ、ヤベーのがはじまる!」っていう興奮がすごい。

 

例えるならパルプフィクションにおけるパンプキン&ハニーバニーのシークエンス、『スクリーム』ドリュー・バリモア殺害からタイトルまでの冒頭5分、ドーン・オブ・ザ・デッドの住宅街のゾンビパニックから主人公がクルマで逃げ出すカオスオープニング。

などなどを見た時の興奮に近い。

 

「うわ、これは普通の映画じゃない!」っていう確信と興奮と喜びで、全身が震えた。タイトルが出た時ゾゾゾーって、武者震いしたね。

 

とにかく非常識で予測不可能な世界観の幕開けを観た観客は、もう完全にこの作品がいままでのDC作品とはモノが違うことを理解して「覚悟」を決めるわけだ。

 

 

凄まじくヤバいキャラクターが集まった極悪チーム最高!

 

まずストーリーが神。

 

もうムチャクチャ。

 

悪党たちを集める流れもムチャクチャだし、ミッションもムチャクチャだし、展開も超ムチャクチャ。敵も味方も、政府さえも、誰ひとりマトモな奴が出て来ないのが凄かった。

 

キャストは、ハーレイクイン役はマーゴット・ロビーが続投。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で好きになってハーレイ・クインの華麗なる覚醒』で嫌いになりかけていたが、長年ハーレイクインをやってきただけあって貫禄だけはやたらあるのでスペシャル感あった。

しかも最初から主人公チームと別行動していて、中盤以降で合流するという流れも大胆で良かったと思う。

 

主役はイドリス・エルバ(ブラッドスポート)で、この人は今なかなかの売れっ子で、カッコイイし渋いし哀愁もあって魅力的だ。

そもそもブラッドスポートというキャラ自体が、とても知的かつ任侠味あふれる熱い男で、悪党と言えど感情移入しやすくて応援しがいがあった。

 

で、最近でずっぱりのジョン・シナ(ピースメーカー)が、またも最高の役。

マジで最高、ジョン・シナの存在感ハンパ無い。ワイスピ『ジェットブレイク』のジェイコブとはまた違った魅力でめちゃめちゃ良かった。スピンオフ作品があるとかいうウワサを聞いたが、これもできればジェームズ・ガン氏にお願いしたい。

 

そして極めつけは、チームのマスコット的キャラのサメくん「キング・シャーク」氏である。

サメに手足が付いている完全なるバケモノ人間で、しかも知能も低くて、ダレカレ構わず人間を喰いまくるめちゃくちゃ危険な奴なんだが、これが超キュート。

調べたらこのキング・シャーク氏、「父親がサメの神で、母親は人間の女性」という狂ったプロフィールが出てきてヤバイ。

しかもこのキング・シャーク氏の声を当てているのがシルベスター・スタローンだというから、もう何もかもがヤバイのである。

 

その他にも、マザコンの水玉男「ポルカドットマン」や俺の大嫌いなネズミを自由自在に操る女の子「ラットキャッチャー」といったキモい奴らが手を組んで大暴れする。

 

ちなみに、敵も当然のようにキモイ一つ目のヒトデ大怪獣なのであった。

 


まとめ

 

これはもう必見中の必見。

 

アメコミ映画とか関係なく、芸術としてもう最高峰だと俺は思う。

 

ジェームズ・ガン監督が最初からレーティングにおけるR15を想定して書いたという、バイオレントかつ不道徳な脚本は、まさに「極悪党集結」のサブタイトルに相応しい最高の毒々しさに満ちている。

 

同じDCコミック映画のシリーズを見返したり、前作の予習したりとか、そんなものはいらないので、これだけ観ておけばいい。

 

これだけが最高なんだから。ハーレイクインの単発映画とかマジで観なくていいから、コレだけは必修である。

 

30年後にタイムスリップしてエイリアンと戦争! 『トゥモロー・ウォー』はムチャクチャすぎて最高!

 

今世紀最高にぶっ飛んだ映画を観た。

 

マジでこの映画はヤバすぎる。

 

アマプラ限定で配信されたクリス・プラット主演のSFアクション『トゥモロー・ウォー』を君は観たか?

 

なに、観てない?

 

 

話にならんな!

 

 

全宇宙の映画ファン必見の超大作『トゥモロー・ウォー』を観ずに映画は語れないだろう。

 

カンタンに説明すると、エイリアンと人類との戦争を描いた作品。

しかし、具体的に説明すると、もうムチャクチャすぎて「なんじゃそりゃ」としか思えない内容だから困る。

 

ある日、主人公のダン(クリス・プラット)が可愛らしい娘(9歳)と一緒にリビングでサッカー中継を観ている。

すると、試合中のサッカーのグラウンドが異世界と繋がり、ワームホールから武装した軍隊が登場。

 

「30年後に世界はエイリアンと戦争して滅亡寸前だ! おまいら、助っ人に来てくれ!」

などとテレビ中継で全世界に訴えるのであった。

 

しかもそんなムチャクチャな徴兵が平然と受け入れられ、半ば強引に普通に暮らしていた一般市民たちがエイリアンの跋扈するヤバすぎる30年後の未来に飛ばされちゃうから驚き。

 

しかも訓練もロクにせずに、戦闘服と武器を与えられて未来へ吹っ飛ばされる。

 

ここまで映画開始から約15分

とんでもないテンション&スピード感である。

 


よくわからんが勢いだけで突っ走るパワフルな脚本すごいよ

 

冒頭からカオスすぎて立ち眩みハンパないのだが、未来に飛ばされてからもまた凄い。

 

タイムスリップで30年後に飛ばされるも、到着先をミスってしまい、地上何十メートルというとんでもなく高い所に転送されてしまった可哀想な助っ人市民たちが、わけもわからず落っこちて死にまくる。

 

運よくビルの屋上のプールに落ちたダンたち数人は助かるが、ほとんどが問答無用の墜落死という、ミッションスタートからありえない大惨事が勃発するのだ。

 

せっかく集めた助っ人を、闘うこともなく一瞬で死なせる最悪すぎるミスなのに、オペレーターの「失敗しやした!」のひとことで、誰かが責任追及されるような描写がひとつもないのがマジで潔い。

 

命が軽すぎて笑ってしまうわけだが、この映画においては、この先の展開もすべて人間の命が綿アメよりも軽いので問題なしであった。

 

そんなこんなで、30年後の未来にやってきた主人公たちは、よくわからない作戦に駆り出されたり、エイリアンのボスを捉えたり、逆にボコボコに復讐されたりするわけだが、とにかく飽きないし中だるみが一切ない。

 

とんでもないテンポの速さで次から次へと話が進むし、そもそもムチャクチャすぎてツッコミが追い付かないから、疑問点なんかも全部「まあいいか」で済ますしかない。

 

考える余裕もないほどフルスロットルで展開する物語に、俺たちは身を任すしかないのだ。

 

 

エイリアンの造形が素晴らしい!



 

人類の敵であるエイリアン「ホワイトスパイク」の造形は、ここ最近のSFホラーに出て来たモンスターの中でもベスト級にキモイ

 

そして、めちゃくちゃ動きが速いのはいつものことだけど、こいつは飛び道具として毒針を飛ばしてくるから超厄介である。

 

あと何が凄いって、民間人を戦場に送り込むのに、軍の上層部は「ホワイトスネイク」がどんな姿をしているかを教えない。理由は「見た目がコワすぎて兵士が怖気づいちゃうから」という鬼畜ぶり。

 

エイリアンもおっかないけど、理不尽すぎる政府や軍のほうがもっと怖いのが、この作品の風刺なのだろうか。

 

 

実は世代を超えた親子の物語

序盤の常識ハズレな導入から一転し、中盤以降でこの物語が実は親子の物語であることが判明する。

 

30年後にタイムスリップしたダンが出会うのは、現実世界では可愛らしい9歳の少女だった自分の娘。

 

娘は指揮官として最前線で闘う軍の戦士となっており、父親への疑問を持ったまま大人へと成長していたことが判明する。

 

さらに、ダンも現在進行形で父親と深い溝ができており、このエイリアン退治がきっかけでその絆が試される展開になるのだ。

 

時空を超えた大冒険が世代を超えた親子の絆の物語となるパターンはSF映画にはありがちだが、前半のブッ飛んだ流れから後半でしっかりとしたヒューマンドラマに立て直した手腕には素直に感心した。

 

まとめ

 

ワケのわからないストーリーと常識ハズレな展開で、鑑賞者の評価が賛否両論となった『トゥモロー・ウォー』。

 

民間人を問答無用で戦場に送りつけて、しかも軍隊のフォローもほとんどなく無駄死に連発という、ありえないほどムチャクチャな前半で「ひどい映画だ!」と怒り出す人もいただろう。

 

しかし、決してツッコみどころとテンションだけの作品ではなく、脚本も非常に練られた作品であり、なおかつテンポ良く何も考えずにスペクタクルを楽しめる。

 

特にクライマックスで1点2転するミステリアスな展開も見事だった。

 

この “なんでもあり” な大胆なエンタメ性が話題を呼び、Amazonプライムビデオでの再生数も記録的に伸ばしているのも納得だ。

 

しかも続編企画も立ち上がったというから今後が楽しみ。。。いや、あのラストからまた続くのかと思うとちょっと不安もあるが。

 

 

前作の100倍怖くて面白い『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』は続編として最高のお手本だ!

今世紀最高に頭の悪いキャッチコピー「音を立てたら超即死」

 

映画の感想を書きたいのに、どうしてもキャッチコピーにモノ申したくなってしまうのは俺の悪いクセなんだけど、それを自覚しててもやっぱり言いたい。

 

ふざけんなと。

 

我が国の映画広告は、なぜ宣伝コピーで笑いを取ろうとするのか?

特にホラー映画やスリラー映画にありがちなんだけど、ジャンルを舐めてるとしか思えない。

 

しかもタイトルがクワイエット・プレイス 破られた沈黙』となっており、素直に原題のクワイエット・プレイス Part2』にしねえところにもイラっとする。

続編であることを巧妙に隠して、ワンチャン初見の観客の興味を引こうと画策していることが丸わかりである。

 

「破られた沈黙」? いや1作目で沈黙はド派手に破られているよね。

めっちゃ大声で叫んで出産してたよね? っていう。

 

とにかく宣伝コピーがゴミすぎて、それだけで呆れてしまうんだけど、作品そのものはとんでもなく面白いので映画の感想もちゃんと書くけども。


すべてがパワーアップ! 続編として完璧すぎる出来!

 

キャストも監督もそのままで、1作目のキャラクターたちによるその後の話が描かれる、まさにシリーズ続編のお手本のような作品である。

しかも怖さも面白さもドラマも1作目の100億倍パワーアップしているから凄い。

 

音を立てると襲ってくるモンスターが闊歩する世界で、いかに物音を立てずにサバイバルするか? という基本ルールは同じだが、1作目で主人公家族が得た「モンスターはキンキンする高音が苦手」という緊急回避システムを冒頭から駆使して撃退しまくるのがアツい。

 

しかし、モンスターは集団で襲ってくるため、一般のか弱い女子供たちにとっては、決死のバトルになってしまうのは間違いない。

 

そこで今回は、防音シェルターを根城とした頼りになる(?)男性、生存者のキリアン・マーフィが登場する。

彼が、前作で命を落とした大黒柱のリー(監督のジョン・クラシンスキーさん)の代わりとなる超重要な役割を果たしているのだ。

 

前作ではただ自宅の農場で脅えてサバイバルしていた家族たちだが、今作でめちゃめちゃ移動する。

物語のフィールドが大きく広がり、さらに登場人物(生き残り)もぞくぞく現れ、そのぶん混沌な様相を見せてくる。

 

しかも、母親&息子ユニットとキリアン・マーフィ&娘ユニットの2組に分かれて、それぞれのスリリングな大冒険が描かれるという大胆展開がまた見事であった。

 

モンスターから逃げながら新天地を求め、危機また危機の連続の中で、希望を捨てずにパワフルに行動する子どもたちと絶望し生き残るために必死な大人たちとの対比が面白い。

 

そんな極限状態のサバイバルが、子どもたちの成長物語として機能しているところも絶妙だった。


サービス満点! 前日譚が描かれるオープニング



注目はなんといってもオープニング。

 

前作は荒れ果てたゴーストタウンとして登場した町に、車が走り、住民たちが普通に暮らしている日常からはじまる。

 

そう、例の “音を探知するモンスター” が出現する前の人々の姿が描かれるのだ。

 

前作で死んだ夫や小さい男の子も生きててめちゃくちゃ切ない。

 

そして幸せな日常風景に不穏な空気が漂い、その災厄は突然やってくる。

ニュースや警戒警報なども何もなく、世界から「音」が消える瞬間がショッキングに描かれるのがめちゃくちゃ恐ろしかった。

 

このオープニングシークエンスだけでも『クワイエット・プレイス PARTⅡ』は大傑作なのである。

 

まとめ

「音を立ててはならない」映画を、音響の良い映画館で鑑賞することに意味があるのか?

 

大いに意味がある。

 

何かを伝える声、何かを触る音、歩く足音、人間が生活する上で、我々が当然すぎて気付かないだけで、様々な音が生まれている。

音を立てずに生きる事など不可能だが、それでも生き延びるために“静けさ”を課せられる主人公。

 

ここで描かれる「音の無い音」こそ、劇場の大音響で聴くべきだと思う。

 

そして風の音や川のせせらぎ、モンスターが唯一反応しない、自然が鳴らす音の美しさもまた、この作品を観て改めて気付かされる。

 

「音の無い世界」という、SFスリラーとしてワクワクしちゃう世界観が面白恐い『クワイエット・プレイス』は、今後もシリーズ化されることを期待したい。

 

『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』はシリーズ史上最高の感動作だ!

ワイルド・スピード』シリーズ9作目となる最新作ワイルド・スピード/ジェットブレイク』の何が凄いって、やはりストーリーが文句なしに面白かったところが挙げられる。

 

今までのワイスピシリーズは、どちらかというとアクション重視の作品で、なんつーかストーリー自体はあまりよくわからない(というか覚えていない)モノが多かった。

 

業界最先端のアクションこそがワイスピの魅力で、「見せ場になる派手なアクションシーンのためにストーリーが存在する」みたいなノリで、ファンもそれが観たくて映画館に足を運んでいたわけだ。

 

しかし今回は、最強すぎるアクションシーンはもちろんのこと、そこにストーリーの重厚さが加わってめちゃくちゃ感動的な出来になっているのだ。

 

ワイスピなのにストーリーがめちゃイイ!

 

シリーズ9作目、しかも20年に渡って続いているワイスピが、ここにきてファンを感動させてくれるのが本当に素晴らしいし、長年見続けて来た甲斐もあったというものだ。

 

ワイスピ名物! 家族愛爆発ストーリー

 

主役のドム(ヴィンディーゼル)の過去の、子ども時代のエピソードが描かれるしょっぱなの時点で、なにやらいつもと様子が違う。

 

カーレースの事故で愛する父親が亡くなってしまい、哀しみに暮れるドムとその弟ジェイコブ。

 

つまり今作は、その弟ジェイコブが絡んでくる話で、しかも大人になった姿が元WWEのプロレスラー、いまもっともホットなアクション俳優のジョン・シナだからマジで最高。

 

ジョン・シナ、ほんっといい俳優だと思う。

バンブルビーでもスーサイド・スクワッドでもめちゃくちゃ魅力的な役で、今回は悪役なんだけど、身体を張ったアクションはもちろん、心の底に哀しみを背負ってる感じもあってかなり良かった。

 

いままでチームとしての絆・家族愛を描いたワイスピが、ついにドムの本当に血のつながった家族についての話に触れて来たのは本当に感動的だ。

 

さらに弟ジェイコブの登場によって、もうひとりの兄妹、ミア(ジョーダナ・ブリュースター)も久々に合流し、ちゃんと夫ブライアンの存在もアピールしてくれるのがまた嬉しい。

 

ワイスピシリーズが素晴らしいのは、ポール・ウォーカーが演じていたもう一人の主役ブライアンが、この世界線で元気に生きて幸せに暮らしていることを知れるところだ。

 

そのほか、今回の見どころとして、ジェイコブとの邂逅によりドムの家族像が深堀りされるだけでなく、あの死んだはずのハン(サン・カン)が「実は生きていた!」的復活を遂げることにも触れておきたい。

 

ハンはワイスピ3作目『TOKYO DRIFT』にて事故死し、それが6作目『EURO MISSION』にてデッカード・ショウ(ジェイソン・ステイサム)の暗殺だったと判明するが、今回そこにさらに新たな事実が明かされるという強引すぎる流れで復活するのがウケる。

 

こういう事がすんなり出来て、しかも受け入れられてしまうのもワイスピの懐の深さであろう。

 

 

濃すぎるキャラクターたちの豪華共演

 

ワイスピシリーズに毎度のように登場する濃厚魚介豚骨ドロドロスープの新キャラクターたち。

ひとりひとりが胃もたれしそうなほど個性的なキャラなのに、なぜか不思議な一体感と協調性でもって一つの作品として成り立っているのが本当に凄いと思う。

 

頼れるリーダーのドム、イケメンすぎるレティ、バカなのに不死身なローマン、頭脳明晰なテズとラムジーといったいつもの面々に加えて、ハンの復帰、最強のライバルでもある弟ジェイコブの登場。

 

さらに、過去シリーズの脇役たちもチラリズムで顔を出していてファンにはお得感がある。

裏で暗躍する悪のボス、サイファー(シャーリーズ・セロン)は、俺が個人的に大好きすぎるし。

 

もはや登場人物たちの個性がヤバすぎて大渋滞を起こしていてもおかしくはないが、それぞれに相応しい役割が与えられているのでしっかりとまとまっているのだ。

 

また今作は、ホブス(ロック様)とデッカード・ショウ(ジェイソン・ステイサム)が不在である。

前作で旬レギュラーだったこのパワフルな2人がいないことで、登場キャラ的にやや迫力に欠けるかなとか不安があったが、蓋を開けたらもう十分華やかで、ここに2人が加わったら『アベンジャーズ』大集合に匹敵するすげースペシャル感が出てしまうこと間違いなしだ。

 

なによりも、ハンの復活で、チームの面々とハン殺害の罪人であるデッカード・ショウとの関係性がどうなるのかが非常に気になる。次回作へのワクワクが止まらん。


まとめ

さて、次回作はシリーズ10作目であり、ワイスピは残り2本制作されるというアナウンスがされているので、メインはサイファーとの対決となるのだろうか。

 

スピンオフ作品で見事なイチャイチャを見せてくれたホブス&ショウの復帰も楽しみだし、次はどんなぶっ飛んだミッションと命知らずのアクションを見せてくれるのか?

 

アクション映画の最先端と言われる『ワイルド・スピード』の完結を見届けるまで、俺は、死ねない。

 

今世紀最高のハッピーエンド映画『ミッドサマー』は、ディレクターズ・カット版も傑作!

 

アリ・アスター監督は、いま世界一信用できる映画作家だ。俺の中で。

 

近年のオカルトホラーの中でも名作中の名作と名高い、監督第1作目の『ヘレディタリー/継承』といい、何がいちばん恐ろしいか? ってことをちゃんとわかってる人。

 

ヘレディタリーは、物語の怖さはもちろん、展開が始終むちゃくちゃ不穏で、いやーなバイブスが2時間ずっと持続しているという邪悪な作品だった。

 

長編2作目の『ミッドサマー』も、そのお得意の「邪悪さ」や「不穏さ」「不気味さ」なんかが全編通して溢れ出ており、映像はしこたま明るくて美しいのがまた「狂気」に繋がっているのが凄い。

 

で、この作品が魅力的なのは、“都会から来た若者たちが田舎でひどい目にあう” という、ホラー映画としての基本的体裁が成されている王道の展開なのに、最終的に「めでたしめでたし」って言いたくなるほど、着地点が鮮やかなところ。

 

アリ・アスター監督はこの作品を「恋愛映画だ」とコメントしているが、まさに主人公である女子大生ダニーの恋愛物語として見ると、これ以上ないほどのハッピーエンドとなっているのだ。

 

表面上は “悪夢” だが、また別の視点では “救い” の物語でもあるという。

 

鑑賞後にこうして「相反する解釈が得られる」という部分の面白さにハマってしまった人が続出して、永遠に語り継がれていくであろう作品だ。

 

で、この作品は後にカットされたシーンが23分追加されたディレクターズカット版も公開されていて、これがまた世界観がさらに広がる凄い作品になっているから面白い。

 

ダニーとクリスチャンの関係性の変化を、さらに詳しく知ることができるシーンが追加されており、加えてホルガ村の様子や村人の考え方などが伝わるシーンがあったり、ラストの見え方というか、ダニーの最後の決断がより一層、説得力ある感じになるので観る価値がバリバリあるのだ。



この映画の好きなポイント① 美術と音楽



この映画、惨劇の舞台となるホルガ村の作り込まれた世界観、美術的なこだわりが本当に素晴らしい。

 

村にあるさまざまなオブジェやアート、ファッション、そして儀式全体のイメージ。

 

この場所が「独自の文化圏」であることを、ヴィジュアルだけで理解させてしまうディテールの細やかさ。

ここが「異世界」であることが丸わかりなアートワークこそが魅力だ。

さらに、この作品を語る上でもっとも話題に上がるポイント、「真昼間に笑顔の人の好い村人たちによるCHAOSな宴」というクレイジーさも見どころのひとつだ。

 

個人的には音楽も最高にヤバイと思っていて、特にタイトルクレジットで、家族を失ったダニーの苦しみの泣き叫び声&ヴァイオリンの不協和音という不吉すぎるオープニング。

最初の5分で観客に“覚悟を極めさせる作り手の強い意思を感じて、めちゃくちゃ身構えてしまった。

 

 

この映画の好きなポイント② フローレンス・ピュー様

 

今や若手ナンバーワンと名高い主演のフローレンス・ピュー様の演技があってこその『ミッドサマー』だと思う。

 

彼女の演じる主人公のダニーは、最初から神経がすり減ったメンヘラぎみの様子で、彼氏の前で気を使いながら無理して振舞っているギリギリな感じがとても危うい。

 

その彼女が、ホルガ村に行ってからの少しづつ変わっていく様子、その異質な風習に恐怖や不安も覚えつつ、この場所に自分の居場所みたいなものを見出していく。

 

自分の中での、彼氏に対する葛藤とか不満とかを押し殺して、なんとか関係を持続させようと必死であることを、動きと表情だけで表現しているのが圧巻で、まさにこの映画はダニーをフローレンス・ピュー様が演じてこそ成り立ったんじゃないかと思ってしまう。

 

いちばん好きなシーンは、ホルガ村の夏至祭のメインとも言える「ダンス合戦」のシークエンスで、若い女性限定の参加型の盆踊り的なイベントだが、ダニーが徐々にトランス状態に入っていく様子がめちゃくちゃ丁寧に描かれていて緊張感があった。

 

心が病んだダニーが、この普通だったら逃げ出したくなるほど狂った村で、どう変わっていく様子、心境の変化の過程の説得力こそが、フローレンス・ピューの優れた演技力の証明でもあるのだ。


まとめ

 

バカンスでやってきた、世界から隔絶された場所は、常識が通じない世界だった! というホラー映画はたくさんある。

 

この作品も、ホルガ村の夏至祭の「ヤバイ儀式」を目の当たりにして、自分の信じて来た道徳や社会的な常識とは違う、そこの独自の文化、一般的な社会からかけ離れた環境の「常識」の中に投げ出されたときの恐怖と不安感こそが、この手のホラー映画の本質である。

 

しかし、我々の価値観で見たら、かなり残酷で非道徳的なしきたりに見えるが、ホルガ村の人々にとっては、それが常識であり正しい文化なのだ。

 

どちらが正しくてどちらが間違ってるなんてのは誰にも決められない。

 

そんな田舎ホラーの中でも、この作品が圧倒的に面白いのは、やはり主人公ダニーがこのホルガ村の環境で心を再生していくところだろう。

 

残酷で非道徳的な世界の中で、自分の中の信じて来た「常識」や「モラル」を破壊されたダニー。しかし、ダニーは現実社会ですでに絶望を経験していたことで、自分の価値観を見直すことが容易だったと言えるだろう。

 

絶望からはじまったダニーが、めちゃくちゃ自由で平等なホルガ村に順応していき、村のルールや共同体としてのキマリをみんなで共有することで「孤独感」がなくなる心地よさを経験してゆく。

 

絶望の慟哭で始まったダニーの物語は、ラストですべてから解放されたかのような笑顔で終わる。

 

よってこの作品は、ハッピーエンド以外のなにものでもないのだ。

 

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を見て、こんな気持ちになりました

 

コロナ禍の中で公開が何度も延期されつつも、全宇宙待望の中でやっとこ決まった『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の公開封切日3/8は、なんと異例の月曜日だった。

 

つーことでスケジューリングの関係もあって、今まで『エヴァ』劇場版は欠かさずに初日の初回に鑑賞してきたという、俺の中のちょっとした自負というか、別に大したことじゃないけど個人的ステータスになっていたことが不可能となったのであった。

 

エヴァ」を初日に観たい。

 

その理由はやっぱ、この作品を「エヴァ好きたちとみんなで分かち合いたい」ていうのが大きい。

だって公開初日にわざわざ観に行く人って、本当に観たかった人達、心待ちにしていた人達なわけだからさ。

そんな、期待と不安と興奮を胸のうちにたぎらせて足を運んでいるファンの人たち、共通のアツい気持ちを秘めた同志たちと一緒に観たいなって思うのは自然のことだよね。

 

エヴァンゲリオンが好きな人はいっぱいいて、コアなガチ勢もいればライトなファンもいるけど、「好き」なポイントがみんなそれぞれ違う。

きっとぞれぞれ、細かい部分で、見ている部分とか感じてるコトが違ってたり、解釈とかも違ってて、エヴァってそういうコンテンツで、だからこそこんなに熱狂的なファンが多いんだろうなって思う。

 

で、さっそく観た感想なんだけど、もう「感動した」。ただそれだけ。

 

「感動した」と、ひとことで言いきれる映画だった。

 

自分でも驚いたんだけど、すっごく泣いてしまった。

 

いままでエヴァで泣いたことなんかなかったし、当然のように旧劇のときもアニメのときも泣くどころじゃないくらい混乱してたんだけど、今回ばかりは、もう泣かずにはいられなかった。

 

シン・エヴァは文句なしに「面白い」から凄い

 

物語は、いままでじゃあ考えられないほどシンプルな話だった。

SFアクションとしてよくある話だし、人間ドラマとしてのメッセージ性もあって、人間とは? 社会とは?っていう。

なぜ自分がここにいるのか?みたいな、庵野監督の自身の青春の1ページを彷彿とさせるくだりなんかも盛り込みつつ。でも圧倒的に面白い。

 

エヴァってもともとシンプルな話だと思うし、ここまでファンが増えたのも「わかりやすさ」って部分が大きいと思う。映画としての、エンタメとしての有能さこそがエヴァの魅力なわけ。

 

元ネタみたいなものもあって、散りばめられた「キリスト教」モチーフ的な部分とか、そういうのの知識が皆無でも、ちゃんと面白いからエヴァは凄い。

 

面白いからこそ、ここまでメジャーでスペシャルなコンテンツになったわけだ。

オタクだけが楽しめるモノだったら、ここまで人気は出なかったはず。

 

だからいきなり新劇場版から見ても面白い。ほんと凄いアニメだと思う。

 

中にはドヤ顔でコアな情報を提示して「これ知らないでエヴァを楽しめないでしょ」みたいなファンもいるんだけど、もちろんそれはそうかもしれないけど、やっぱ娯楽としてのパワー凄いから。

ヴィジュアルなんだよすべては。

大スクリーンで、IMAXの音響で観るモノなんだからさ、要は映像としてのパワーを感じ取れば、それはもうエヴァを十分楽しんだと言えると思う。

 

ロボットアニメとしての面白さとか、特撮ドラマの興奮とか。

アクション表現や魅せ方とかのセンス、庵野監督のってとても独特で、自身が好きなモノ(ガンダムとかウルトラマンとかヤマトとか)そのへんの面白い要素をベースに、さらに自由に発想力を広げて表現されていてね。

 

それに興奮しない男の子がいないわけがないじゃんっていう。

 

ギレルモ・デルトロが『パシフィック・リム』で怪獣VSロボットやったり、マイケル・ベイトランスフォーマー作ったり、スピルバーグレディ・プレイヤー1でやったこととか。

 

まさに庵野監督の『エヴァンゲリオン』がそれなんだろうなって思う。

 

その想像力のパワーの凄まじさ。これに勝るモノはなくて。

 

ヴィジュアルの凄さ。表現のカッコ良さ。クールさ。デザインの発想力の世界観。

簡単にいうと庵野監督のエンタメ性が個人的に俺の好み。

 

唐突にメタ的な演出をブチ込んでくる感じも、庵野監督の照れ隠しなのかもしれないけど、とても好きだった。

 

 

エヴァは生まれ変わり続け、俺たちは振り回され続けた

1997年公開の旧劇場版は、前年に放映されていたテレビアニメ版のラスト2話をリメイクした内容だった。

春エヴァと呼ばれた『Death and Rebirth(シト新生)』公開時に、まあ初日だったこともあって、やっぱ観たかった人達が集まってたのもあるけど、上映終了後に、観客が拍手をするという状況に初めて遭遇したのを覚えてる。

 

それくらい、エヴァ熱が凄かった時代だった。

 

2007年に新劇場版がスタートして、「なんだよまたやんのかよ」って空気にもなったけど。

エヴァってそう考えると、テレビ版とか旧劇とかを、何度も何度もやり直してたわけで。

でもそれは興行的に儲かるからとか、政治的な理由じゃなくて、作り手が勝手にやり直したいって言ってやってて、だからファンは庵野監督についていったわけだ。

 

新劇場版がスタートしたときは 誰もがリブート的なモノだと思っていて、新劇場版の1作目の「序」で、これはリメイクなんだなって思ったんだけど、2作目「破」でマリが出てくることで衝撃をうけてしまう。

 

あ、これもう完全新作なんだ。

 

で、「破」でせっかく興奮したのに、次の3作目「Q」の開始早々でなんじゃこれ!と。

 

ショッキングな内容で、思わず「裏切られた」ってなる人続出。

 

「Q」を見終わったとき、というか「Q」を鑑賞中の俺たちファンの、「見たかったやつと違う!」っていう絶望感。あの気持ちを共有できるのも、初日に意気揚々と映画館に並んで観に行った俺たちだけの感覚だから。

 

ただ、今回この最終作である「シンエヴァ」を見て、いちばん重要なこととして、8年前の「Q」を観たときの俺の気持ちは必然だったんだなって思った。

 

「Q」鑑賞時の絶望は必要不可欠だったんだ。

 

それを含めて庵野監督が、やっぱり、映画を作って、エヴァの世界を表現して、なおかつ観客である俺たちにも寄り添ってくれてるみたいな。テレビ版や旧劇であんなに突き放した俺たちに、ここまで寄り添ってくれるんだ!っていう感動がデカかったのだ。


まとめ

つまり『シンエヴァ』は、俺たちにとってのエヴァの卒業式みたいなものだった。

 

「さらば、すべてのエヴァンゲリオン

 

テレビ版があって(95年)、旧劇場版(97年)、序、破、Q、という新劇場版がスタートして、そのシリーズ全部の存在を肯定して、それすべてに決着をつけるっていうのがこの「さらば、すべてのエヴァンゲリオン」という言葉なんだ。

 

とはいえ、エヴァは決してそれら存在する作品をすべて観なくちゃいけないってこともなくて。

 

最初に書いたように、エンタメとしての圧倒的完成度の高さがエヴァの魅力だから、ただ「物語の面白さ」とか「アクションの凄さ」とか「ヴィジュアルの美しさ」とかを、自分の目と、耳と、心で体感するのが正しい楽しみ方なんだろうなって思ったりしたのだった。

 

感想おわり。