ローデッド式デヴォンクラッチ

映画ファン最後の良心デヴォン山岡が映画を楽しみまくって感想を書きます。

身近にいる嫌な奴を容易くお気軽に地獄送り。『地獄少女』はいじめられっこの味方!

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アクセスして名前を入力するだけで、その人間を地獄に送るインターネットサイト【地獄通信】

そんな、何のヒネリもないそのまんまな名称のサイトの管理人の名は、これまた「閻魔あい」というそのまんまな名前の少女であった。

いや別に無理にヒネった名前を付ける必要はないが、そのサイトが「午前0時ちょうどにのみアクセス可能である」という設定も小学生が考えたみたいに安直で逆に不気味だ。

しかもそんなウワサが普通に一般の高校とかで広まっているのも凄い認知度。

闇サイト感ゼロの超ポピュラーな復讐サイトとして市民権を得ているといっても差し支えないであろう。

当然のように、いじめられっこなんかが恨みにかられて気軽にアクセスし、気軽にいじめっこを地獄送りにしたりする。

 

なんという気軽さ。

 

近所のコンビニにでも立ち寄るような気軽さで復讐ができてしまう【地獄通信】、学校や職場で孤立しがち、いじめや悪意のターゲットにされがちなそこの君におすすめだ。

 

とはいえ、安直に依頼可能なぶん、復讐にはそれなりの代償が必要。

それが、≪復讐した者は自らも死んだら地獄に落ちること≫という契約ルールなのである。

ターゲットは即座に地獄へと送られる、しかし、自分もいつか死んだときに地獄少女によって地獄に送られることになる。

つまり死後の自分を代償とする契約なのだ。

嫌な奴が死ねば、とりあえず現状は安泰になるし、自分も寿命で死ぬまでは地獄行きを待ってもらえる。

だったら、なんとなく復讐してもいいかなって気持ちになってもおかしくはない。

いじめなどで死にたいぐらい追い詰められていたらなおさらそう思うはずだ。

気軽に復讐できるシステムは整っているが、それを決意し実行するには覚悟がいるという、シンプルゆえに人間の心の葛藤が伝わりやすい設定になっているのがこの作品の面白さだ。

 

 

玉城ティナの常人ならざる存在感

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依頼があればその日のうちに仕事に取り掛かるストイックな地獄少女閻魔あいちゃんを演じるのは、青春映画の名作と名高い『惡の華』でも地獄の使者みたいな女の子を演じた玉城ティナ嬢である。

最近はキャラ重視の独特な役柄ばかり演じているようなイメージの彼女は、モデル出身とは思えないほど異形の存在感が際立っている。

「いっぺん、死んでみる?」というお馴染みの決めゼリフ(「“殺し”文句」なんてダジャレは恥ずかしくて書けない)も、普通に言われたら笑ってしまいそうであるが、クソムシでも見るような蔑んだ目のティナ嬢に言われると問答無用で心臓が止まりそうだ。

 

しかしこの映画、そんな地獄生まれ地獄育ちのティナ嬢が主役かと思わせて、実はまったく違う。

人気アニメの映画化ということで、当然のようにそんなものは未見な俺は、鑑賞前までこの映画を、閻魔あいちゃんが「地獄少女」であるという正体を隠して学園生活を送り、人知れず事件を【地獄送り】で解決していくような作品だと勝手に想像していた。

復讐版『名探偵コナン』、もしくは女子高生版『必殺仕事人』みたいなやつかと思ったけどぜんぜん違った。

 

なんと閻魔あいちゃんは、依頼者が【地獄通信】にアクセスしたときとターゲットを呪い殺す際にしか出てこない(アニメ見ている人には常識なんだろうけど)。

この映画の主人公は、恨みと悲しみに囚われた女子高生たちなのである。

日常生活で起きる理不尽で無慈悲な出来事に翻弄される善良な女の子たちが、少しづつ闇へと落ちていく過程がスリリングかつ丁寧に描かれ、ついに禁断の「復讐」へと導かれる。

そのとき初めて、地獄とこの世を繋ぐ存在として着物姿の美しき地獄少女ティナ嬢が現れるのだ。

14歳で『ViVi』の最年少専属モデルに選ばれたというその容姿は、まさに地獄のような美しさ。というかエロさ。

そう、ティナ嬢の凄さは、そこに「妖艶さ」が漂っているところ。

その妖しい魅力と神々しさを併せ持つティナ嬢の姿そのものが、絶望した依頼者の覚悟を受け入れる存在としての説得力となっているのだ。

 

 

完璧なるキャラクター創造は白石監督ならでは

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監督の白石晃士と言えば、Jホラー最後の傑作と謳われた『貞子VS伽椰子』でも見せたキャラクターの描き方の巧さが特徴だ。

とにかく登場人物に魅力があり、だからこそドラマ展開に違和感がなく感情移入しやすい。

主人公ともいうべきドラマの中心的存在の女子高生役の森七菜ちゃんが超絶カワイイが、最初は主体性のない地味で素朴な女の子なのに、物語が進むにしたがってどんどん強さや行動力を見せてくれる。

その友人のミステリアスで硬派な女の子役の仁村紗和、スターになる素質十分だが夢破れるアイドル役の大場美奈、そして地獄少女の存在の謎を追うフリーのルポライター役の波岡一喜

どのキャラクターも、一筋縄ではいかない複雑さと人間的魅力に溢れた存在としてドラマを盛り上げてくれる。

 

ちなみに、波岡演じるルポライターの役名は「工藤仁」といい、白石監督のホラーシリーズ『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』における名物ディレクター「工藤仁」と同姓同名。

“怪奇の謎を探るためには危険にも飛び込む”という危ない性格をも受け継いだ形で登場するのでファン必見である。

 

まとめ

地獄少女』は映画版のオリジナルストーリーだが、これがかなり練られていて青春映画としても非常に面白い。

さらに女の子同士の友情物語であり、カルト集団を描いたオカルトサスペンスでもあり、原作アニメのファンタジー感をベースにしつつ、さまざまな面白さがバランスよく機能しているのは監督の実力のなせる業であろう。

 

ただひとつ、アニメを知らない人間から言わせてもらうと、閻魔あいちゃんと登場する3人の仲間のオバケがどうも必要性がわからなかった。

ただ脅かし要員としてそのへんにいるだけなんだけど、麿赤兒や橋本マナミ、楽駆と、妙に派手なビジュアルの面々なので賑やかし感が凄くてドラマとしては興冷めしてしまいがち。

わざわざアニメに寄せた部分なんだろうけど、原作ファンにとってはアリなのかどうかが知りたいところだ。

 

 

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つまりこっちのほうが見たい

 

『イエスタデイ』は、自分がどれだけビートルズが好きだったのかを思い知らされる映画どぁ!

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ビートルズのいない世界。

そんな悲しくも味気ない世界がもしあったとしたら、音楽は、カルチャーは、人類はどんな未来を歩んでいたんだろう。

ビートルズが存在しないということは、当然のように音楽界にビートルズの影響が無いということになるので、ポップスもロックも、なんならソングライティングのスタイルさえも今とはまるで違っている可能性も捨てがたい。

この映画の凄いところは、そのへんを妥協しないところで、つまりビートルズがいないってことはオアシスもいない。

ビートルズのスコアbookが売っていないので、きっと若者はギターを始めようと思わない。

そんな容赦のない世界観なのだ。

 

何を隠そう、俺ですら中学生時代にギターを始めたきっかけはビートルズで、発狂しそうになりながら必死で「In My Life」を練習した記憶がある。

俺にとってビートルズは初めてづくしの存在だった。

初めてバンドメンバー全員の名前を覚えたのはビートルズだし、初めて演奏とソングライティング両方をこなすバンドとして意識したのもビートルズ

音楽は聴いたり演奏するだけじゃない、自分で作ってもいいんだ! という発見があった。

俺だけでなく、多くの音楽好きがビートルズによって大きな感動となんらかの閃きを授かっているであろう。

 

『イエスタデイ』は、そんなビートルズの存在を誰も知らない世界に来てしまったミュージシャンの話。

しかもそいつが、じぇんじぇん才能が無くて、見た目も冴えなくて、根はいいけどダメダメな感じで、そろそろミュージシャンの夢を諦めようとしている男なのである。

 

目が覚めたら、ビートルズを知っているのは自分ひとりだけ。

 

どうする?

 

 

愚問である。

 

 

 

そんなもん盗作するに決まってる!

 

 

 

 

世間を熱狂させるビートルズの鬼楽曲が凄い!

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現代人がもし初めてビートルズを聴いたらどんな反応を見せるのだろうか。

そんな不謹慎な好奇心を満たしてくれる、売れないミュージシャン【ジャック】の華麗なる盗作劇。

「Yesterday」、「In My Life」、「Let It Be」と、名曲中の名曲を大胆かつ堂々と「これ、俺の曲」などとノタまい披露していくジャックのふてぶてしさたるやギネス級。

神をも恐れぬ悪魔の所業であるが、それが痛快で微笑ましいから困ってしまう。

 

あっという間に人気ミュージシャンのエド・シーランに目ざとく発見され、彼のライブのオープニングアクトをゲット。

つーか、エド・シーラン君、映画に出るときいつも本人役だからウケる。

 

そんな感じで、ビートルズの奇跡のメロディは遂にジャックの作品として世間に知られることになるわけだが、もう当然のように音楽業界が震撼しまくる。

ビートルズの楽曲の凄さは、その完全なるメロディラインと、さまざまなジャンルの音楽を取り入れて生み出された独創性。

それは、誰がどの時代に聴いてもやはり革命的に素晴らしいのだ。

結果、ジャックがビートルズの楽曲でド派手に売れてしまうわけで、天才降臨! なんて持ち上げられたりして、おいおいこれどうなっちゃうの? というスリルとサスペンスで先読み不可能な展開が待っている。

こんな大胆な脚本、よくもまあ実現させたものである。

 

 

 

 

鬼アレンジで魅せるビートルズの鬼楽曲が凄い!

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ジャックは誰も知らないのをいいことに、次々とビートルズの名曲を“そのまんま”パクりまくる。

しかし、ビートルズの楽曲ってさ、曲名もメロディもほとんど知っているけど、実際に正確に歌えと言われたら非常に厄介だよね。

たとえば「Eleanor Rigby(エリナー・リグビー)」なんか、メロディもコード進行も容易く思い出せるけど歌詞はすげえうろ覚えだったりする。

ジャックもそのへんで非常に苦労するのがとてもリアルで面白いのだ。

有名な曲でもそんなハッキリ覚えているわけないし、練習する際に何度も「あれ? この曲って歌詞どんなだっけ?」なんて悩みまくるジャック。

しかも存在しないバンドの曲なので、調べても誰も教えてくれないし、答えは自分自身の記憶の中にしかないというね。

盗作するのもいろいろ大変なんだなあ。

 

で、そんな苦労をしながらもジャックによって奏でられるビートルズの数々の名曲が、この時代ならではのアレンジで表現されるのだがそれがまた素晴らしくカッコイイ。

ジャックとしての解釈で再構築したビートルズの楽曲は、新鮮なのにオリジナルの感動をもしっかり残している絶妙なサウンドに仕上がっているのだ。

 

 

 

まとめ


ビートルズの楽曲で多くのヒットを飛ばしてしまう順風満帆な盗作男ジャックだが、彼は真面目な男ゆえに自分のやったことへの葛藤があるし、彼を唯一理解してくれるガールフレンドとも溝が出来てしまうしでもう大変。

ガールフレンド役は『シンデレラ』(2015)で俺のハートを撃ち抜いたリリー・ジェイムス嬢で、健気にジャックを慕う姿が可愛すぎた。

 

音楽映画であり、異世界ファンタジーであり、ラブコメディでもある、至れり尽くせりのエンターテインメント作品ではあるが、もしかしたらラストの展開には賛否があるかもしれない。

ラブストーリーとしてのハッピーエンドを望むか? 異世界ファンタジーとしてのハッピーエンドを望むか? という鑑賞者の好みにもよるかもしれないが。

 

俺の個人的な評価としてはこんな感じである。

 


100点満点!!!

 

 

すべての思春期に捧ぐ『惡の華』 クソムシ共よ、これが青春だ!

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有名なマンガ原作だということをまったく知らずに鑑賞したが、監督が監督なのでまあ「お察し」というか、ただの青春映画ではないことは予想していた。

しかしながら、煽り文句に“超〈変態〉狂騒劇”などと書かれると俺としては不安しか感じない。

「変態」を売りにしている時点で、それはファッション的かつ商品的な意味合いをはらんでしまうわけで、世間が求める「変態」とホンモノの「変態」は明らかに違うわけじゃん。

一般映画が売りにする「変態」なんてのは圧倒的に前者であり、それはみんなが楽しめる理想の「変態」像に他ならないのではないか?

「変態」は決してポジティブなものではなく、背徳的かつ非道徳的、罪悪感とマイノリティの疎外感などに満ちたネガティブな概念であるべきなのだ。

で、この映画、好きなクラスメイトの女子の体操着のニオイを嗅ぐ主人公「春日くん」を演じるのは伊藤健太郎である。

果たして、彼が女子のブルマをくんかくんかしていたとして、そこに“変態的なおぞましさ”が生まれるだろうか?

 

否である。

 

男から見ても可愛らしい顔をした伊藤健太郎くんがいくらブルマを嗅ごうが、ブルマを履こうが、ブルマを頭に被ろうが、おそらくそこには“爽やかさ”しか漂わない。

そんな「日本一爽やかにブルマを嗅ぐ男」健太郎くんを罵倒し支配する存在、クラス内で生徒にも先生にも嫌われ孤立した異端女子「仲村さん」の役が、これまた日本人離れした美しさを持つ玉城ティナ嬢だ。

 

画的に美しすぎるこの2人の絡みの、いったいどこに変態的要素を見出せばいいんだ! イイカゲンにしろ!

 

などと、1ミリでもこんな面倒なことを思った俺みたいな人間にこそ観てもらいたいのがこの映画である。

 

惡の華』は、決して「変態」を描く映画などではなく、もちろん「一風変わった若者の色恋沙汰」を描く映画でもない。

この作品は「青春」の残酷さ、生きづらさ、ドス黒さ、危うさ、絶望感や閉鎖感を、とんでもない破天荒な方向性で表現した圧巻の青春地獄絵巻なのである。

主人公が伊藤健太郎玉城ティナという美男美女であることは、この作品における唯一の救い、作り手による鑑賞者への慈悲でしかない。

これがもしブスな男女で描かれたら、誰一人として鑑賞に耐えられないし、あまりの地獄に上映中ショック死、あるいは自殺してしまう人も続出するであろう。

 

 

 

Mすぎてエモすぎる井口ワールド

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惡の華』は、クラスのアイドル「佐伯さん」(秋田汐梨)に恋する春日くんが、放課後に誰もいない教室で彼女の体操着を思わず盗んでしまい、その様子を仲村さんに目撃されて弱みを握られてしまうことから始まる。

仲村さんに「バラされたくないなら契約しよう」と持ち掛けられて無茶な要求(彼らにとっての変態行為)に応える春日くんが、じょじょにM性を開花させていくシーンは本当に素晴らしい。

日本映画界の国宝級マゾ男、井口昇監督の最新作に相応しい、というか水を得た魚のような堂々たるM男覚醒演出は監督の面目躍如といったところである。

井口監督と言えば、デビュー作の短編映画『わびしゃび』が、学生時代の監督自身が後輩の女の子に告白するまでの葛藤を8ミリで記録した壮絶なドキュメンタリーだった。

今思い起こすと、『惡の華』の春日くんと『わびしゃび』において恋に悩む井口監督との姿が重なる部分があり、またそれが学生時代の俺自身の悶々とした日々にも重なったりして、要するに圧倒的にエモいのだ。

井口監督が、このマンガを読んで「俺はこれを映画化するために映画監督になったのではないか」などと神の啓示を受けた理由がよくわかる。

『わびしゃび』で描かれた孤独な片思い同様に、『惡の華』もある意味その歪みゆえに成就しない片思いの物語である。

春日くん、いや『惡の華』の悩める主要キャラ3人全員が“あの頃の井口監督”そのものであり、きっと井口監督は3人のことを誰よりも理解できたのだろう(ヘタすりゃ作者よりも)

 

 

 変態は自分の中にある

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まるで自分の青春時代を見ているかのようにリアルな青春地獄。

もちろん俺は、実際に女子のブルマを盗んだりしたわけではないが(本当にしてない。お願いだから信じて)、憧れの女子の体操着姿を見て悶々とする主人公の気持ちなんか痛いほどわかるし、思春期の絶望的な気持ちを本や映画に逃避することでやり過ごしたり、「俺は他の人とは違う」と信じることで孤独の拠り所としたりと、劇中のあらゆるシークエンスが心当たりありまくりで困る。

とにかく大人たちやその社会がものすごく汚らわしい世界に見えて、さらにそういった世界へと何の疑問もなく足を踏み入れようとする同世代たちを蔑んだ目で見てしまう感じ、まさに「青春」だよね。

 

他の人と違う=「変態」でありたい。

自身のアイデンティティの欠落を「変態」という逃げ道で補完しようとする主人公は、いっそ「変態」であれば苦しまずにいられると思い、その異世界の扉を開けようと四苦八苦するわけだが、結局のところアイデンティティってのは他者との交流において確立するものだ。

春日くんも仲村さんも、孤独ゆえに自己像を認識できずにいたわけで、そんな歪んだ2人が関わりを持つことで、事態はより一層に歪みまくり、さらに佐伯さんをも巻き込んで混沌へと突き進む。

このへんのモヤモヤ感というか、もっとシンプルに生きればいいのにそうはいかない複雑な心境が見事に表現されていて、心当たりありまくりの俺にとっては恥ずかしくてたまらないのだ。

もうすっかりと忘れていた中学生時代の黒歴史を紐解かれたみたいに、羞恥心を大いに刺激される物語である。

「変態は自分の心の中にある」

劇中こんなセリフが飛び出す(たぶん)

「変態」は「愛」と同じでカタチなど無い。

見た目や行動などの表面的なモノではなく、「変態」は一種の概念として心のずっと奥に隠されているべきもので、他人にこれ見よがしにアピールするものではないのだ。

 

 

とにかく女の子がギネス級にカワイイ

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心が痛くなるほど切なくて、気が狂わんばかりにエモいこの作品。

原作における世間の評判には「胸糞」というワードも上がっているが、映画版に関してその感覚は皆無である。

 

なぜなら出演者がとことん美しいからだ。

 

伊藤健太郎玉城ティナという透明感を絵に描いたような存在に加え、佐伯さん役の秋田汐梨のアイドル然としたキュートさには春日くんでなくとも心が射ち抜かれてしまう。

しかもブルマ姿がマジで今世紀最高にエロいので、鑑賞後に思わずブルセラショップに立ち寄ってしまいそうになったほどだ。

井口監督の目線ともいうべきカメラアングルのエロさは異常で、映画じゃなきゃ完全に犯罪!(当たり前)

さらに高校時代の春日くんと恋をする常盤さん役の飯豊まりえがまた凄い。というか存在がエロい。経験済み感がたまらない。

そもそも「飯豊まりえ」という名前の字面がエロい、「豊」という漢字&「ま」というひらがな表記は卑猥すぎて反則!(落ち着け)

 

井口監督の映画を観るといつも思うが、女の子の撮り方が異常にウマい。

清純さの中にしっかりとエロさを醸し出す魅せ方に、観ているこっちが罪悪感を抱いてしまうほどである。

つまりこの映画、目線が完全に思春期のソレ。

誰もが青春時代にタイムスリップして地獄ライドできる、究極の青春映画なのであった。ほげ。

 

 

 

惡の華
9.27全国青春ロードショー!

 

 

 

 

 

自分が襲ってくる! ドッペルゲンガースリラー『Us/アス』の予測不可能展開に悶絶しろ!

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「自分そっくりの容姿をしたもうひとりの邪悪な自分に襲われる」というシチュエーションはホラー映画によくある題材だが、この映画はなんと自分だけでなく、自分の家族そっくりの「わたしたち」に襲われるというブッ飛んだ展開がヤバイ。

邪悪な自分ひとりくらいならまだ気楽だが(逃げやすいという意味で)、家族一緒にともなるとちょっと大変。

 

邪悪な夫、邪悪な嫁、邪悪な娘、邪悪な息子、なにこれ地獄じゃん。

 

幸せに暮らしていた平凡な家族に、何の前触れもなく襲い掛かる「ニセモノの家族」の恐怖。

いや、実は「前触れ」は遠い昔にあった。

この映画の核となるのは、その「前触れ」の部分なのだ。

突如現れたニセモノはいったい何なのか? その目的は? 

 

スリリングで謎に満ちた理不尽かつ理解不能な恐怖を、時にユーモアを交えながら軽快に描くのは、傑作スリラーゲット・アウト(2017)でアカデミー脚本賞を受賞したジョーダン・ピール監督である。

不吉なことが起こりつつある違和感、降りかかる意味不明な災難、そして冗談としか思えないような驚きの真相解明と、大胆でありながらも冷静沈着な脚本&演出が特徴。

今回も『ゲット・アウト』同様に、一見してどんな映画なのかが見えにくい、最後までその全貌を予測できない作品となっている。

つまり、『Us/アス』におけるドッペル家族の襲来にはもちろん大きな“意味”がある。

その“意味”がわかるのは物語の超終盤であり、観客はラストのラストで、残暑などなかったかのように死ぬほど背筋を寒くするという寸法だ。

 

 

 ドッペルゲンガーの恐怖とは?

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「この世の中には自分そっくりの存在が3人いる」といった話を子供時代に聞いたことがある。

当時は、自分のそっくりさんがどこかにいるというファンタジックな話に素直にワクワクしていたが、いま考えると絶対に会いたくないなと思える。

自分と瓜二つの顔を持つ他人と遭遇するなんて恐怖でしかない。

ドイツ語で「分身」を表すドッペルゲンガーという現象は、自分が「もう一人の自分」を目撃してしまうことで、それは自身の死の前兆を意味するとして恐れられている。

つまり、ドッペルゲンガーを見てしまった者は近日中に絶賛死亡確定というわけである。

ニセモノがホンモノを殺し、なり替わってホンモノとして生き続けるという説もあれば、単純に「自分」を見てしまったショックから精神に異常をきたして死を迎えるという説もあるそうだ。

ドッペルゲンガーは不吉な概念であり、モンスターや幽霊に匹敵するほど人間にとっての恐怖の対象なのだ。

 

ではなぜ「自分」がこれほど怖いのだろうか?

対峙する「もうひとりの自分」が、自分とは正反対の人間であることへの恐怖か、あるいは自分自身が社会生活で隠している“本性”の具現化であることへの恐怖か。

相手が「自分」だからこそ、思考や行動もまた「自分」と同じですべて読まれてしまうという恐怖もあるかもしれない。

とにかく、自分自身がいちばん理解しているはずの「自分」が、理解できない存在として目の前に現れる恐怖こそがドッペルゲンガーの恐ろしさなのだろう。

ジョーダン・ピール監督は、史上もっとも恐ろしい物語を創る上でそこに着目したのだ。

この着眼点、そしてドッペルゲンガーをきっかけに広がる、アメリカの社会における貧困や格差への問題提起とも言える壮大な展開に驚愕を隠せない。

敵は自分であり「わたしたち」、つまり社会なのだ。

 

 

 

まとめ

 

自分にそっくりの人間は存在する。

それは科学的にも立証されており、もともと人間の顔の特徴を決める遺伝子の数は限られているということなので当然と言えば当然の話だ。

しかし、ドッペルゲンガーは単なる「そっくりさん」ではない。

「自分そのもの」であるというところに救いがたい絶望と恐怖がある。

さらに『Us/アス』は決して怖いだけの映画ではない。

混乱の中に描かれる人間の強さや滑稽さ、テンポ良く進むスリル満点なサバイバル展開、ホラーエンターテイメントとしての完成度の高さに誰もが驚くだろう。

 

 

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100点満点!

 

 

 

今年ベスト確実の大傑作『ロケットマン』、音楽好きはもう死んでも観なきゃダメ!

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音楽好きならば、所持しているCDをすべてブックオフに売っぱらってでも観なきゃいけない映画ロケットマンは、エルトン・ジョンのド壮絶な半生を描いた、愛と呪いの超絶ミュージカルである。

そう、とにかくこの作品は「呪い」に満ちている。

あの類まれなる「音楽の才能」を得る代償として、エルトン・ジョンは「愛にめぐまれない」呪いにかけられたのではないか? と思うほど、幼少時代から見事に呪われまくっているのである。

両親からの愛を受けたくてもそれが叶わない現状、それを打破するべくのめりこんだ音楽の世界で、ご存知のとおりに彼は大成功を納めるが、結局どう頑張ったところで両親には愛されない。

 

なんという哀しい物語だろうか(しかも実話)

なのにこの映画は、そんな発狂レベルに可哀想な物語を、ノーテンキなポップミュージックで歌い踊り飛ばすのだ。

ミュージカル映画と言えば、もともと派手でテンションの高い作風なのが常識だが、『ロケットマン』は通常の3倍の派手さ&テンションで襲ってくる。

 

なぜならエルトン・ジョンは衣装がバリ派手、愛に飢えているためか精神が常に躁状態

 

オープニングから、常人だったら羞恥プレイ過ぎて死にたくなってしまうほどの激ヤバ衣裳で堂々登場するエルトン役のタロン・エガートンに悶絶&ショックを受けるほど、アタマからシッポまでたっぷりとド派手が詰まっている。

とにかくタロン君がとんでもなく巧い。

イケメンなのに、どことなく醸し出すイモ感、神経質感、変態感、さらにカリスマを感じさせるオーラをも身にまとい、当初は吹き替えで済ませる予定だったというライブシーンも、すべて自身で歌い上げたというからオドロキ。

 

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似てないが似てる

 

タロン君はエルトン・ジョンとして違和感のない超絶歌唱テクを披露している。

こういったミュージカル映画は、普段見慣れた俳優たちのまさかの歌唱力に驚くことが多々あるが、今回のタロン君はレベルが違う。

なんてったって、世界的スーパーアーティストの名を名乗ってのパフォーマンスだからである。

「結構巧いよね」程度の歌唱力では務まらない。

製作総指揮であるエルトン・ジョン本人が納得するだけの歌唱力&表現力を、しっかりと持ち合わせているのである。

 

ライブシーンの迫力あるパフォーマンスが見事なのは言うまでもないが、実は作曲シーンやレコーディングシーンといった派手な演出のない演奏シーンでこそ、タロン君の魅力が爆発する。

特に名曲「Your Song」誕生の瞬間は鳥肌モノのシークエンスであった。

 

 

 

エルトン・ジョン、愛と言う名の呪い

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素晴らしい音楽を生み出す天才でありながら、絶望的に愛に飢えていたエルトン・ジョンの孤独を想うと、いままで聴き慣れていた多くのヒットソングたちへの印象もまた変わってくる。

ハッピーな曲は切なく、切ない曲はさらなる哀愁で心に伸し掛かってくるではないか。

 

ロケットマン』の物語は、ひとりの天才の「愛」をめぐる生々しい半生を描いている。

自分を愛してくれる人を探し求め、ゆえに自分自身をも愛せずに過ごした日々。

きっとエルトン・ジョンは、そういった理不尽な仕打ちをした周囲(特に両親)に対する不満と恨みをいまだに持ち続けている。

製作総指揮として作品制作に参加し、自分を愛してくれなかった両親に遠回しに復讐しているのではないか? と思わずにはいられない演出が散りばめられていることからも、それは明らかだ。

親が我が子に無関心であるという状況など俺にはまったく理解できないが、エルトン・ジョンのその苦しみは痛いほど伝わってきて、鑑賞後にすぐに帰宅し我が子を抱きしめてやりたい衝動にかられたほどだ。

さらに、恋人兼マネージャーとの泥沼の恋愛事情やドラッグに逃避するスターゆえの孤独も濃厚に描かれている。

栄光と絶望、ショービズ界の裏側と混乱、劇中に展開する豪華絢爛な地獄絵図を見ていて、思わずクイーンの軌跡を描いたヒット作ボヘミアン・ラプソディとの類似点を多く見つけてしまったが、後から調べたらなんとまさにその『ボヘミアン・ラプソディ』の監督が手掛けた作品であった。

天才を見つめる視点、リアルな人生をファンタジックに描く演出、ライブシーンのカタルシス、そしてアーティストへの大いなるリスペクト。

哀しくも壮絶なエルトン・ジョンの人生が大迫力のエンターテインメントとして再現された、まさに実録音楽映画のお手本みたいな作品であった。

 

 

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音楽映画の最高峰!

 

100点満点!

 

 

絶対にひとりで観て! 別次元の「異様さ」にたどり着いたリメイク版『サスペリア』

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俺はいま、聴くだけでド派手に呪われそうな初代『サスペリア』(1977年)のテーマ曲を流しながらこの感想文を書いている。

音楽を担当したイタリアのバンド「ゴブリン」の代表曲のひとつであり、ホラー映画BGMの中でも『エクソシスト』のテーマ「チューブラー・ベルズ」に並ぶ超有名なサウンド

その美しく儚げなメロディと民族楽器の音色との不気味な融合、時折挿入される魔女のささやき(みたいなダミ声)がとんでもなく恐ろしい。

 

ダリオ・アルジェント監督の名を一躍有名にしたホラーの古典『サスペリア』は、俺にとって怖い映画というよりも、なんつーか、その、とても狂っている変な映画というイメージだ。

音楽も、ビジュアルも、物語も、展開も、ことごとく常識ハズレで変態なので、思春期に観た俺にとってはけっこうなトラウマ。。。

というか、この作品を運悪く多感な時期に観た人間なんてのは、もう間違いなく俺同様にトラウマを植え付けられているはず。

 

今回リメイク版を監督したルカ・グァダニーノさんもまさにその一人であった可能性が高い。

少年時代(13歳の頃だったそう)にこの映画を見た瞬間に、彼は「ぼくも大きくなったらサスペリアを撮りたい!」などと言いながら、この作品の再映画化を夢見るという完全にヤバイ青春を送っていたんだって。

 

サスペリア』は「とんでもなく変な映画」ゆえに公開時のインパクトも大きく、今なおカルト的な人気を得ている。

 

ファンも当然観る目が肥えているので、ちょっとやそっとのリメイクじゃあ納得しないのは明らかだし、そもそもすでにあの時点で完成されていたダリオ・アルジェント監督の変な美的センスやら変なショック描写やら変なミステリー展開やらを模倣しようにも、そんなものは到底無理である。

 

『ゾンビ』(リメイク『ドーン・オブ・ザ・デッド』)や『悪魔のいけにえ』(リメイク『テキサス・チェーンソー』)のように容易にリメイクできるような作品ではないのだ。

そんな、どう考えてもリメイクが難しい作品にあえて手を出したルカ・グァダニーノなる男はタダモノではない。


俺なんかも「普通の映画になっちゃってたら残念だなあ」なんて思いながら鑑賞。

そう、結局いちばんの不安は「普通のホラーになってしまっていること」なのだ。

 

「圧倒的な変さ」こそが『サスペリア』の大きな魅力ゆえに、リメイク版でそこを修正されて正統派ホラー化されてしまうとファンとしてはマジで困ってしまう。

 

で、結論なんだけど、リメイク版の『サスペリア』は、なんと驚くべきことにダリオ・アルジェント監督とはまた別ベクトルでとんでもなく変な映画だった。

いや、もはや「変」というレベルではなく、オリジナルの100倍「異様」で狂気に満ちた壮絶ホラーになっていたのだ。

 

 

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驚きの再構築で狂気度UP! 地獄度UP!

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リメイクではなく「再構築」と言ったほうがしっくりくるくらい、本来の『サスペリア』のベースの部分だけを残して、あとはまったく別の世界観となっている本作。

 

印象としては、オリジナルに比べて美しさ100倍、狂気100倍、残酷さ100倍、おぞましさ100倍、つまり、すべてが地獄方向にパワーアップしているという驚きの出来で当然満足度も100倍なのだ。

 

オリジナル同様に、主人公がダンサーになるという夢と希望を胸に有名舞踏団の門を叩くところから始まるが、そこからの展開がエグさと生々しさに満ちていて、とにかく不気味。

美女だらけのダンサーたち、エロチックなダンスレッスン、得体のしれない邪悪な存在の鼓動、講師たちの謎の行動。

主人公以外の登場人物たちにもクローズアップしながら、さまざまな視点から『サスペリア』の物語を展開させ、ときにその描写はキャラクターの精神的なイメージにまで及ぶ。

一歩間違えると実験的なアート作品になってしまいそうなギリギリの不条理さ&幻想的な演出が、まるでデヴィッド・リンチの作品のようでもあるが、しかし根底にはオリジナル版へのリスペクトがしっかりと見て取れるから凄い。

 

姿カタチがまるで違うのに、それは間違いなく『サスペリア』でしかないのだ。

 

ルカ・グァダニーノ監督、よくもこんなとんでもないリメイクを創り上げたものだ。

サスペリア』と言う作品を、どれだけ愛し、分析し、研究すればこんな完璧な再構築が可能なのか?

なんと上映時間は152分という長尺でありながら、この濃密さ、絵的な美しさ、物語の面白さはタダゴトではない。

 

 

完璧すぎるキャストと音楽がとにかく凄い

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主人公スージーを演じるのはダコタ・ジョンソン嬢。

成人映画『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』で惜しげもなくセレブセックスを見せつけていたあの少女なので、今回も愛しさとエロさと心強さ満点の見事なパフォーマンスを魅せる。

 

さらに、舞踏団のカリスマ指導者マダム・ブラン役は、俺の中で「ガチの魔女なんじゃないか?」という疑いが年々強くなっているティルダ・スウィントンである。

 

もうこの時点で美的センスが爆発しているわけだが、そんな危険なキャラクターたちの物語を盛り上げる音楽がこれまた凄い。

オリジナル版でも重要な役割を担っていたゴブリンのプログレッシブ・ロックに負けず劣らずのインパクトで鳴り響くのは、あの『レディオヘッド』のトム・ヨークによる楽曲である。

ポップでありながら破壊的な迫力と官能的な魅力を併せ持った美しきロックの調べが、新たな時代の『サスペリア』に華を添える。

 

この完璧な布陣でこそ実現した、もっとも高級&高尚なリメイク作品。

 

「決してひとりでは見ないでください」?

 

いや、『サスペリア』の濃密すぎる映像体験は、絶対にひとりで観て、その心に誰とも共有できない禁断のトラウマを植え付けられて欲しいな。

 

 

 

『オーシャンズ8』は、あり得ないほど贅沢すぎる至福の映画体験だ!

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 (C)2018 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC., VILLAGE ROADSHOW FILMS NORTH AMERICA INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC

 

 2001年に公開して大ヒットしたクライムサスペンス映画『オーシャンズ11』をご存知でしょうか?

 

ジョージ・クルーニーブラッド・ピットマット・デイモンといった主役級のスターが出演し、窃盗チームを組んで知的かつスタイリッシュに裏稼業を成し遂げるといった作品で、当時は「ハリウッド史上最強の犯罪ドリームチーム」なんてコピーで盛り上がっておりました。

 

しかし、フタを開けてみると、その窃盗チームにおけるスター俳優はその3人のみで、残りの8人はとても地味なメンツとなっており、メインビジュアルに出ていたジュリア・ロバーツアンディ・ガルシアはチームの一員ではないというガッカリの内容だったのでした。

 

鑑賞後の感想

 

「それほどドリームチームじゃなかった・・・」

 

 

あれから17年の時を経て、シリーズを継承する最新作オーシャンズ8が公開。

 

 

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メインキャストには、サンドラ・ブロックケイト・ブランシェットなど、とにかく凄い豪華女優が名を連ねておりますが、1作目のガッカリ感が脳裏に残る俺としては「どうせまた全員がチームメイトじゃないんでしょ」なんて疑念まみれで鑑賞。

 


鑑賞後の感想

 

「スゲエよ! むちゃくちゃドリームチームやないか!」

 

 

 

 

 

 

キャストが神! サンドラ・ブロックひさびさに見たわ

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オーシャンズ8』で活躍する、クセ者揃いの女性たち8人による窃盗チーム。

 

これがもうワクワクするほど豪華なメンバーなので、まずこのキャストだけで心が惹かれまくります。

 

サンドラ・ブロックケイト・ブランシェットアン・ハサウェイサラ・ポールソンヘレナ・ボナム・カーター、リアーナといった凄まじく個性派な女優陣がチームプレイをするってだけでたまりません。

そこに、アジア人ラッパーのAWKWAFINA(オークワフィナ)やインド系アメリカ人のミンディ・カリングが加わり、人種も個性もバラエティに富んでいて、刺激的。

 

8人それぞれのキャラクターの作りこみも絶妙で、性格と得意分野を生かして全員が輝くように練られた脚本も見事でした。

全員が揃ったシーンの豪華さは悶絶モノですよ。


で、とにかく俺のイチオシはサンドラ・ブロックですね。

めっちゃひさびさに映画館でサンドラ・ブロック見ましたが、いままで何やってたんだこの人。

 

まさか、本当に刑務所に入ってたんじゃないのか?

 

そんな不謹慎なことを考えてしまうほど懐かしかったわけですが、5年ぶりくらいに見たサンドラの姿はかなりのイイ女

 

若いころはどちらかというとイモっぽいイメージというか、田舎臭い顔でしたが、熟女と化した今のサンドラは色気ムンムンで魅力がすごいよ。

 

ケイト・ブランシェットと並んでも十分貫禄は負けていないし、アン・ハサウェイと比べても色気で負けてない気がします。

このサンドラが魅せるオーラとカリスマ性は、この作品の見どころのひとつですね。

 

 

 

スタイリッシュで痛快、豪華絢爛なクライム映画

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計画の首謀者であるデビ―・オーシャン(サンドラ・ブロック)は、前作でジョージ・クルーニーが演じた泥棒のスペシャリスト「ダニー・オーシャン」の妹という設定です。

 

ダニーは、ラスベガスの巨大カジノをはじめ、難攻不落の金庫破りを次々に成功させていましたが、今回この兄の遺志を継ぐ妹デビ―が挑むのは、カルティエが作った1億5000万ドルの宝石

 

しかも盗みの舞台は、メトロポリタン美術館で行われるファッションイベント「メットガラ」というね。

 

ストーリーだけでもうゴージャスすぎるわけですが、もちろん窃盗計画の全貌も大胆でゴージャス。

サンドラ演じるデビ―が、刑務所の中で5年かけて計画したその巧妙なトリックは、観客も思わず騙されてしまうほど、先読み不可能で驚愕&痛快でした。

 

セクシーな悪女たちによる鮮やかなチームプレイに魅せられる。

しかも、ただのスタイリッシュなクライムサスペンスじゃなくて、この映画には「スターの競演」という映画ファンにはたまらない魅力もプラスされるので、もうオープニングからラストまで豪華さが持続するわけです。

 

 

 

 まとめ

 

存在感抜群の8人の美女が大暴れする『オーシャンズ8』。

 

オーシャンズシリーズを観ている人ならば文句なしで楽しめるけど、実は過去作を観ていなくてもぜんぜん問題なく楽しめる親切設計でもあります。

もし、予習してから観たいという人でも、シリーズ過去3作のうち1作目『オーシャンズ11』だけ観ておけば大丈夫。


正直、俺は1作目しか観ていないんですが、『オーシャンズ8』メチャクチャ楽しかった。

豪華なキャスト、スタイリッシュな展開、痛快な物語、エンターテインメントとして文句なし!

 

よって点数はこうなります。


100点満点!

 

 

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