前作の100倍怖くて面白い『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』は続編として最高のお手本だ!
今世紀最高に頭の悪いキャッチコピー「音を立てたら超即死」。
映画の感想を書きたいのに、どうしてもキャッチコピーにモノ申したくなってしまうのは俺の悪いクセなんだけど、それを自覚しててもやっぱり言いたい。
ふざけんなと。
我が国の映画広告は、なぜ宣伝コピーで笑いを取ろうとするのか?
特にホラー映画やスリラー映画にありがちなんだけど、ジャンルを舐めてるとしか思えない。
しかもタイトルが『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』となっており、素直に原題の『クワイエット・プレイス Part2』にしねえところにもイラっとする。
続編であることを巧妙に隠して、ワンチャン初見の観客の興味を引こうと画策していることが丸わかりである。
「破られた沈黙」? いや1作目で沈黙はド派手に破られているよね。
めっちゃ大声で叫んで出産してたよね? っていう。
とにかく宣伝コピーがゴミすぎて、それだけで呆れてしまうんだけど、作品そのものはとんでもなく面白いので映画の感想もちゃんと書くけども。
すべてがパワーアップ! 続編として完璧すぎる出来!
キャストも監督もそのままで、1作目のキャラクターたちによるその後の話が描かれる、まさにシリーズ続編のお手本のような作品である。
しかも怖さも面白さもドラマも1作目の100億倍パワーアップしているから凄い。
音を立てると襲ってくるモンスターが闊歩する世界で、いかに物音を立てずにサバイバルするか? という基本ルールは同じだが、1作目で主人公家族が得た「モンスターはキンキンする高音が苦手」という緊急回避システムを冒頭から駆使して撃退しまくるのがアツい。
しかし、モンスターは集団で襲ってくるため、一般のか弱い女子供たちにとっては、決死のバトルになってしまうのは間違いない。
そこで今回は、防音シェルターを根城とした頼りになる(?)男性、生存者のキリアン・マーフィが登場する。
彼が、前作で命を落とした大黒柱のリー(監督のジョン・クラシンスキーさん)の代わりとなる超重要な役割を果たしているのだ。
前作ではただ自宅の農場で脅えてサバイバルしていた家族たちだが、今作でめちゃめちゃ移動する。
物語のフィールドが大きく広がり、さらに登場人物(生き残り)もぞくぞく現れ、そのぶん混沌な様相を見せてくる。
しかも、母親&息子ユニットとキリアン・マーフィ&娘ユニットの2組に分かれて、それぞれのスリリングな大冒険が描かれるという大胆展開がまた見事であった。
モンスターから逃げながら新天地を求め、危機また危機の連続の中で、希望を捨てずにパワフルに行動する子どもたちと絶望し生き残るために必死な大人たちとの対比が面白い。
そんな極限状態のサバイバルが、子どもたちの成長物語として機能しているところも絶妙だった。
サービス満点! 前日譚が描かれるオープニング
注目はなんといってもオープニング。
前作は荒れ果てたゴーストタウンとして登場した町に、車が走り、住民たちが普通に暮らしている日常からはじまる。
そう、例の “音を探知するモンスター” が出現する前の人々の姿が描かれるのだ。
前作で死んだ夫や小さい男の子も生きててめちゃくちゃ切ない。
そして幸せな日常風景に不穏な空気が漂い、その災厄は突然やってくる。
ニュースや警戒警報なども何もなく、世界から「音」が消える瞬間がショッキングに描かれるのがめちゃくちゃ恐ろしかった。
このオープニングシークエンスだけでも『クワイエット・プレイス PARTⅡ』は大傑作なのである。
まとめ
「音を立ててはならない」映画を、音響の良い映画館で鑑賞することに意味があるのか?
大いに意味がある。
何かを伝える声、何かを触る音、歩く足音、人間が生活する上で、我々が当然すぎて気付かないだけで、様々な音が生まれている。
音を立てずに生きる事など不可能だが、それでも生き延びるために“静けさ”を課せられる主人公。
ここで描かれる「音の無い音」こそ、劇場の大音響で聴くべきだと思う。
そして風の音や川のせせらぎ、モンスターが唯一反応しない、自然が鳴らす音の美しさもまた、この作品を観て改めて気付かされる。
「音の無い世界」という、SFスリラーとしてワクワクしちゃう世界観が面白恐い『クワイエット・プレイス』は、今後もシリーズ化されることを期待したい。