ローデッド式デヴォンクラッチ

映画ファン最後の良心デヴォン山岡が映画を楽しみまくって感想を書きます。

目が覚めるほどの映画愛炸裂映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

 

おそらくタランティーノって世界でいちばん自由に映画を撮っている人なんだと思う。

子供時代とか、ビデオ店でバイトしてた時代とかに感銘を受けたくだらない映画に執着して、映画監督としてそんなのがごった煮状態になった作品(いわゆる自分の中にある原風景としての映画体験を再現した作品)を撮り続けている。

しかもそれがしっかりとエンターテインメントとして完成していて、それなりの評価を得てヒットしているというところに凄みを感じる。

ギャング、カンフー、ホラー、ウエスタン、戦争、犯罪、カーアクション、こんなのばっかり観てきたから、作る映画もこんなのばっかりなのだ。

よって今回の作品、監督作9本目である『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』も、例によってこういったいつもの材料を下ごしらえもせずに全部まとめて鍋に放り込んで、塩コショウ代わりの饒舌トークで味付けして煮込んだ “ジャンクフード風タラ鍋” といった逸品。

他人の好き嫌いなどお構いなしで、自分の好きな具材だけで作る鍋ほど美味いものはない。

俺なんか食卓で鍋を囲む際に、大好きなシイタケやシメジをぶち込みたいが、俺以外の家族がキノコ嫌いであるゆえに「勘弁してくれ」と却下される。

しかしタランティーノは、大勢の関係者や鑑賞者に一切不満を言われずに、好きな具材を思う存分使って鍋を作れるのだ。

 

アレも入れとけ、コレも入れとけ、食い合わせなんか考えずに、俺が食いたいモノをぜんぶ入れるんだわーい!

 

そうやって出来た最高のタラ鍋を、有無を言わさず食わされてみる。

 

抜群に美味い。

 

ひと口目から最後のシメまで最高に美味いのだ。

つまりこの鍋、美味いのは食材でも味付けでもなく、きっと「愛情」という隠し味ひとつで、こんなにも美味くなってるんだろう。

タラの映画愛、ハンパねえな。


シャロン・テートの魅力がすごいよ



舞台となる60年代のハリウッドの内情など俺なんかに知るよしもないが、この時代におけるヒッピームーブメントの暗黒面とも言えるマンソン・ファミリーについては、映画ファンであれば多少は知っている。

1969年に起きたシャロン・テート殺人事件」は、美人女優が自宅で残虐に処刑されたという、その陰惨さにおいてインパクト抜群の出来事であり、俺なんかも若い頃に鼻息を荒くして詳細を調べ上げてみたりした記憶がある。

たぶん殺人現場の写真(シャロンの無残な遺体)なんかも見たので、この映画でその現場が再現されるのかと思うと興奮を隠せなかった。

劇中シャロン・テートを演じたのはマーゴット・ロビー嬢だが、ウルフ・オブ・ウォールストリートのエロ嫁やスーサイド・スクワッド(2016)のハーレイ・クインのようなビッチなイメージではなく、めっちゃキュートでお茶目な美女といった存在だったのは意外だ。

シャロンが映画館で自分が出演した映画を観ながら、観客の反応に一喜一憂するシーンなんて、なんかこっちまで嬉しくなってしまうほど健気で微笑ましい。

その時点で、もう何か予想と違う感があって、シャロンがむちゃくちゃカワイくて魅力的なのは、ちょっとこの後の展開を考えると辛い気持ちにもなった。

有名監督と結婚して順風満帆なセレブ生活を満喫する鼻持ちならないビッチ女優が惨殺されるのであればワクワクもできるが、庶民的感覚と良識と映画愛を持ち合わせた美しい女性が薄汚いヒッピーに殺されるのは普通に胸が痛い。

正直、俺の中でこのシャロン・テート役はマーゴット・ロビー史上最高の役柄だと思う。妊婦姿もたまらん。

しかしこの作品、悲劇を乗り越えてたくましく生きるロマン・ポランスキー監督にはどう映ったのか非常に気になる。

 

普通にゲラゲラ笑って観てそうだが。

 

 

 レオ様とブラピの魅力がすごいよ



かつてテレビの西部劇におけるスターであったが今は落ち目の俳優リック・ダルトンを演じるレオナルド・ディカプリオがさすがの演技で震えが止まらなかった。

やさぐれてアルコール中毒になるレオ様、思うように演技ができなくて発狂するレオ様、マカロニ西部劇を批判するレオ様、それでも自暴自棄にならずに頑張るレオ様等、俺の見たかったレオ様の姿が見事に具現化されているではないか。

レオ様っていつも神経衰弱な役が本当に巧く、もともとハンサムなのでどんなに薄汚れてもキマっていて華がある。

同じタラ作品のジャンゴ 繋がれざる者(2012)での悪党役も迫力満点だったが、やさぐれればやさぐれるほど魅力的な存在になるのが凄い。

さらに、そんなレオ様の専属スタントマンであり、身の回りの世話係であり、親友でもあるクリフ・ブース役のブラッド・ピットがこれまたイケメン。

セックスを全面に押し出したマンソン・ガールズの誘惑も軽く受け流して、ファミリーにおける「ヘルタースケルター」という思想をも暴力でへし折るタフガイぶりは、まさにタランティーノ映画史上最強のキャラクターともいえる存在だ。

タラ作品イングロリアス・バスターズ(2009)でも見せた、狂気をはらんだ危険な男を演じさせたら右に出る者はいないブラピならではのキャラクターである。

つまりこの作品は、今のレオ様とブラピの魅力を最大限に引き出すドンピシャなキャラクター同士が大活躍するのだ。

正反対なのになぜかウマが合う2人の友情がマジで泣けて仕方がなかった。



小ネタがすごいよ

タランティーノの映画が好きな人なら間違いなく楽しめる小ネタの数々が本当に楽しい。

どんなジャンルの映画だろうが、タラ映画の世界観はやはり同じなので、タラ映画はタラ映画が好きな人ほどたくさん楽しめるのだ。

所々でチョイ役として顔を見せる俳優の姿に、まるで知り合いでも見つけたかのような安心感とお得感を感じたり、いつも出てくるアイテム、女のケツや足の裏などのフェチ演出、クライマックスで突然入るナレーションなどなど。

これもまたタラ映画が好きな人だけの特権なのかもしれない。

デビュー作レザボア・ドッグス(1992)からついに長編映画9作目となり、タラ自身は10作品目での監督引退を表明しているが、実際のところどうなるのであろうか。

今作は60年代後半に起きたハリウッド最大のショック、「シャロン・テート殺人事件」を題材にしながら、タラの溢れんばかりの映画愛を注ぎまくったロマンチック作品である。

これを観れば、まだまだタラの映画愛と情熱は尽きることなく燃え続けているのは明らかだし、取り上げたいジャンルや演出したいシーンや撮りたい女優(性的な意味で)も無限にあるであろうことは想像がつく。

10作じゃ終わらんだろうね、タラは。

そんなことを確信した最新作であった。